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花は咲く Flowers bloom in your garden.ⅩⅢ

彼はいつも数歩前を歩いていた。
どんなに頑張っても追いつけない。
ようやく追いつきそうになるとするりと身をかわして逃げてしまう。
いつも姿を替えて目の前から消えてしまう。
なのに気がつくと僕の前に姿を現して、数歩先を歩いていることに気がつく。

●誰かが息づく部屋

彼と最初に出会ったのは小さな劇場だった。
演台の上に上に座っているのはまだ若手の噺家。
演目は忘れてしまったのに、隣に一人で客席にいた彼のことはとても印象に残っていた。僕とあまり歳も変わらないはずなのに何か落ち着いた空気を纏っていた。
驚いたのは自分と同じデザイナーだったことだった。
デザイナーは必ずどこか尖っていたり押しの強いところがあるものだけれど
彼にはそういう空気を全く感じなかった。

僕は彼に強烈に惹かれていた。
ほんの少しの会話で彼の中に確信めいたものを感じ取っていた。
それは僕の中にもある同じ匂いのする、でももっと物事の中心にある真理のようなものなのかもしれない。

出会った時に同じ職業だったのはほんの気まぐれだったのかもしれない。
次に会った時には彼は内装の職人になっていた。
デザイナーだった時と作っているものは全く違っているのに彼が作った部屋はあの時のデザインと同じ空気を纏っていた。
そうか、あの寄席の時に感じた彼が纏っていた空気と同じ匂いがするのだと僕は気づいた。

その次に会った時、彼はミシンの縫製の仕事をしていた。
「器用にいろんなものを作るんですね」
一度聞いてみたことがある。
「そうですか?私には全て同じだと思っているんですけど」

形は違っても確かに彼が作るものはみんな同じ匂いを纏っているのだ。
僕は彼が作っているものを自分でも作ってみることにした。
でも僕の作品は彼を意識すればするほど同じ形にしかならなかった。
僕にはその形にすることでしか匂いを纏わせることが出来ないのだ。

彼が陶芸をはじめた時には流石に驚いたが、
それでも彼の作品からは同じ匂いがした、

もう一つ気がついたことは彼の作品には全て高い商品価値があることだった。
ただの趣味でつくっているのではない。
それを使う人がとても使いやすく、
いつも傍に置きたくなるものづくりを彼は続けていた。

彼は様々な物作りをしながら何を目指しているんだろう?
彼が一度病に伏せって、もうものづくりをやめるのだろうかと思っていた時も
体調が戻るとこれまで以上に仕事に打ち込みはじめた彼をみた。
「そんなに頑張ったら、また体調を崩すよ」
「いや、まだ足りないからね。それに全部完成したわけじゃない」
「何を完成させようとしているんだい?」
「そこにいる日常、かな?」

最初は彼の言っている意味が分からなかった。
「そこにいる」って誰のことなんだろう?

ある日、彼の作品展の案内状が届いた。
仕事が早く終わったその日、そのギャラリーに向かった。
そこはどうみてもギャラリーなどではなく、
ただの一軒家の家にしか見えなかった。
玄関には表札ではなく確かに「作品展会場」と書かれていた。
でもそこに彼の名前はなく、本当に彼の作品展なんだろうか?と疑った。
勇気を持って一歩踏み込んでみた。

なんだか懐かしい匂いや見たことのあるどこにでもあるありふれた景色が広がっていた。
さりげなく置かれた椅子やテーブル、
奥の部屋は作業場のようにあらゆる工具が置かれていた。
ダイニングの壁には誰かが着ていたような服や帽子が掛けられている。テーブルの上には飲みかけのコーヒーカップ。
テーブルの上にはついさっきまで誰かが食事をしていたような無造作に散らかった食器や鍋。柔らかく光を放つスタンド型の照明器具。
壁に掛けられた小さな額縁の絵。

そうだ、それらを全てどこかで見たことがある。
その部屋に置かれている全てが彼が作ったものだった。
奥の作業部屋の椅子の方から声が聞こえてきた。

「やあ、よくきてくれたね」

彼は作業机に向かって何かを描いているようだった。
最初はそのギャラリーの調度品に同化して彼の存在に気がつかなかった。
いや、気がつかなかったのではなく彼の有り様があまりに周囲に馴染んでいて
「作者」であるという存在として認識できていなかったのだった。

違和感と言っていいのだろうか?
あれ?なんだろう?
その部屋に誰かがいるような気配がした。
今まで気がつかなかった。
それは作者である彼よりももっとこの部屋に馴染んだ存在。
この部屋に入った時からそれを感じていた。

彼以外に確かにその誰かのことを感じていた。

「彼女の存在を感じますか?」
彼がぽつりと呟いた。
「いや、幽霊なんかじゃないよ。そんな超自然的なものじゃない」
「じゃあ、この感じ?は?」
「目を瞑って、それからゆっくり目を開けてごらん」
僕は彼の言うように目を閉じて、そしてゆっくりと開いた。

ああ、この部屋のあちこちにその女性は存在していた。
台所にもリビングにも、そして彼の傍にもその女性は美しく佇んでいた。

「僕はね作品を作っていたわけじゃないんだ。ただ、その人が必要としているものを作っていただけなんだよ。『誰かのために作る』それはとてもリアリティーがあってその人の姿は揺るがず、いつもその人と同じ空気を呼吸していなければならないんだ。最初はおぼろげであやふやな存在も、ようやくいつもその存在を感じられるところまでたどり着いた。君にもその存在を感じてもらえたならとても嬉しいよ」

彼が作り上げたのは作品たちじゃない。
彼の中に存在する彼女のために作り続けることで、彼はその人の存在そのものを作り上げたのだった。

不思議な安堵感と少しばかりの喜びを感じながらその部屋を出た。
ふと振り返ると玄関先まで見送ってくれている彼の姿があった。
僕には彼の傍で一緒に手を振る花のようなその人の姿が見えた。

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