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花は咲く Flowers bloom in your garden.Ⅶ

設営会場の中を走り回っていた。
「おい、早く資材を運べよ!」
先輩の怒号が響く。
イベントの設営はいつも戦場だ。
早朝の5時に現場に入って指示された床の上のテープに合わせてパーティションを組み合わせてゆく。
テーブルと椅子を運び込んで設営が終わった頃には8時をまわっていた。
仮設ステージの上では音響と映像をMCが入って確認している。

●日はまた昇る

バックヤードで配られた弁当で遅い昼ごはんを済ませていると
アシスタントが「配線に不備があるみたいです」と駆け込んできた。
汗をぬぐう間もなく、ステージ裏の配線を確認するために私は走り出した。

「私、ここを辞めさせてください」
辞表を提出したのは葉桜が赤くなって舞い降りる頃だった。

一人で愛車のミニバンを走らせて向かったのは海沿いの古い国道だった。
当てもなく走っていると道を跨ぐように古い鳥居が見えた。
興味本位で鳥居をくぐって進むとうっそうと茂った森の中に迷い込んだ。
ちょっと怖かったけど、勇気を出してそのまま進むと曲がりくねった山道に差し掛かり、ふわっと目の前が明るくなると車がやっと通れる森の細い道はいきなり海岸線に出た。
片側は小さなガードレールだけの崖で脱輪したら助からないなと思いながら遠くを見ると海岸線に小さな集落が見えた。

路肩に寄せて車から降りると濃い潮の匂いが鼻をくすぐった。
都会に暮らす私の記憶からずいぶん遠のいてしまった原風景がそこにはあった。
周囲を山に囲まれた小さな街に育った私は高校を卒業するまで海を見たことがなかった。大学の友達と夏休みに訪れた日本海はあいにくの台風で荒れ模様で、
海岸には出れずに、時折光る稲光に震えながら宿の窓から照らし出される水面に何か引き込まれるような恐ろしささえ覚えた。
その後も時折友達と海には出かけたけれど入って行くのが怖くて、みんなが泳いでいるのを浜辺で遠くから眺めていた。

「お姉ちゃん、どこから来たの?」
車から降りて砂浜でうとうとして帽子を顔に被せて寝ていると
急に声をかけられた。
起き上がって砂浜に座ってまわりを眺めると
ランドセルを背負った子供たちが波打ち際を裸足で走ってくるのが見えた。
「ねえ、お姉ちゃんも来てよ。気持ち良いから」
男の子に手を引かれて波打ち際に連れて行かれた。
「ちょ、ちょっと待って!」
私は慌てて靴と靴下を脱いで浜辺に置いた。
意を決して波打ち際に足を踏み入れた。
予想に反していろんなものを足の下に感じながら、
最初は冷たかったのに慣れてくるとそれが心地よさに変わった。

「ずいぶんはかどったじゃないかい?」
山の上の畑から帰ってきた隣の家のお爺さんが声をかけてきた。
窓の上に大きなトタン屋根を打ち付けながら挨拶をすると
「これ、今晩のおかずにしな」と言ってトマトの実のフサを一つ置いていった。
「いつもすいません。こんなにもらって良いんですか?」
「もう夏も終わりだからねぇ、放っておきゃ猪に喰われるか畑の肥やしになるだけじゃから、気にせんでええ。そうやなぁ、それじゃったらまたトマトソースでも作って持ってきてや。あんたのは評判じゃから」

子供達と遊んでいたあの日、孫を迎えにきた啓次郎爺さんと初めて会った。
「孫と遊んでくれてありがとう。お礼に晩御飯呼ばれて行ってや」
断る私を無理矢理に家まで招待してくれた。
この村の人たちは子供も年寄りも強引だなぁ。そう思いながら、一人暮らしでは味わえない人の触れ合いが妙に心地よくて、その日車で家に帰ってみるとそれまで感じなかった寂しさを感じて泣いてしまった。

私はそれから毎週のように村を訪れた。
あの鳥居を抜けるとなんだか違った世界に私を連れて行ってくれているような気がした。半年が過ぎた頃、母屋の裏手に小さな小屋があるのに気がついた。
お爺さんに聞くと漁師道具を入れてある小屋らしかった。
「もう何年も使っておらんからねぇ」
ガタついた引き戸をこじ開けるとムッとカビ臭い匂いがした。
中にはほつれた網や竿、竹で編んだ大きな活け籠やらが積んであった。
「もう、使いもんにならんから捨てないかんねぇ。小屋も壊して小さな畑でも作ろうかね」
啓次郎爺さんが言うのを聞いて
「この小屋、使わせてもらえませんか?」私も思いも寄らない言葉が私の口から飛び出してきた。
「ええけど、このままじゃ使いもんにならんで。修理するのも大変じゃ」
「私、この小屋直しますから」

あれから半年かかって、小屋は見違えるようになった。
私一人で直した、と言いたいけれどそうはならなかった。
毎月平日の昼間は街でパートで働いて、金曜日の夜には村に来て、
土曜日と日曜日に小屋を修理していた。
でもある日土曜日の朝に起きて小屋に行くと、周りに覆い被さっていた木の枝が払われていた。
また次の金曜日の夜にゆくと、小屋のすぐ近くに街灯が灯されていたし、
ある日には、いつの間にか引き戸が外されて綺麗なドアが嵌め込まれていた。
夕方になると小屋の玄関に野菜や魚が置かれていて、いつの間にか私は金曜と土曜日は小屋で寝泊まりするようになった。

村の人たちにすっかり打ち解けて、玄関の横には大きなトタンの庇ができて、下には小さなテーブルが置かれた。
今日、厨房に立派なガスオーブンがやってくる。
いつしか村役場の人たちも巻き込んで、この小屋は人が集まる場所になっていた。

「いよいよだのう」
お爺さんが感慨深げに言った。

朝早くに目が覚めて、小屋の大きな窓を開けた。
冬のかじかんだ空気が心地よく感じた。
遠くに水平線が見えて少しずつ明るさを増してゆく。
岬の先の祠に向かって村人たちがお供えを持って行くのが見えた。
私も手を合わせて願掛けをした。
小屋は祝福されるように照らされて明るく輝いている。
この小屋から見える景色から名付けた看板を表に運び出した。
「カフェ・サンライズ」
ちょっとダサいけど、気に入っている。

水平線から光る花が蕾を開き始める。
そう、ここで私の次のステージが始まるのだ。

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