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自閉症児との出会い

育学舎こころんの瀧です。

 今日は、私が特別支援学級を初めて担任したときのことをお話ししたいと思います。

 それまでに、すべてが特別支援学級である施設から通ってくる子どもだけの学校で働いていたことがありますが、そこでの特別支援学級は、いわゆる通常校の中に設置されている特別支援学級とは内容が異なっていたため、もちろん、その学校にも発達障がいの子どももいましたが、ここでは、初めて純粋な障害児学級を担任したときのことについてお話ししたいと思います。

 初めての小学校での担任を経験した後に、転勤するときに特別支援学級の担任をしてみないかという打診がありました。純粋な特別支援学級の担任は、初めてなので良い経験だと思いその話を受けさせていただきました。

 その学校では、少しの間特別支援学級がなくなっていましたが、2名の入級希望者がいたため(その頃は、小学校では2名の入級希望者がいると特別支援学級の開設ができました。今では、1名から開設されています)、特別支援学級(知的障がい児学級)が開設されました。

 2名のうちの一人が新1年生の自閉症児でした。

 言葉があまり出ない子で、毎日なんどもパニックを起こしていました。

 初めは、なぜ起こっているのか、何を訴えたいのか・・・・

 私は、それまでにも「非言語的活動」「非言語的コミュニケーション」が得意な方だと友達に話をするくらいでしたが、さすがに・・・・その子の訴えたいことがわからず、いろんなことを試しては、撃沈する毎日でした。ほんとに・・・自慢していた自分が情けなく思いました。

 とにかく、体をはることしか能のない私は、毎日体を動かし続けマルっと1年間『パニックを起こす子どもをできるだけ早く立ち直らせること』を目指して、なんとか4月よりは早く復活するようになっていたと思います。

 2年目からは、その努力が実ってきたのか、子どもの方から訴えようとする様子が見られるようになり、パニックの前のコミュニケーションでの戦いが始まりました。

 子どもの方も、かなり頑張ってくれました。

 なかなか通じない表現でも、だんだん長い間、根気よく伝えようとしてくれているうちに、パニックになることが少なくなっていました。

パニックになる前に手立てを打つこともできるようになってきていました。

 子どもが、どんなことを嫌がるのか、どんなことを要求するのかの予想が立てられるようになってきたからです。

 そして、いつかの研修で教えていただいた、認知の仕方についてそれぞれの人によって違いがあり、その人に合わせて理解させることができるということを知ってからは、ほんとに問題なく、毎日の生活を送ることができるようになったと思います。

 この時の1年間は、ほんとうに毎日疲れ果てて帰宅していたようです。3月の春休みに入った瞬間、発熱で5日間点滴をして寝ていたことを覚えています。

 そして、この1年間で身についたことのすべてが、その後の教師生活でものすごく生きました。
 自閉症という障がいについて、子どもの発達段階について、認知の仕方について・・・まるで知らなかった世界が広がったように思います。

 子どもからも、お母さんからもたくさんのことを学ばせていただきました。

 人は、いろんな経験をした方が良い。辛いことも楽しいことも、どんなことでも良いので、できるだけ経験したことのないことを経験することで人間としての成長ができるということを知りました。

 子育ての中でも、できるだけ子どもに経験させてあげることが、子どもにとって良いのだということにも気づかせてもらいました。
 経済的なことや時間的なことなども考慮したうえで、子どもが興味を持ち、経験できうるいろんなことを経験させてあげる子育てが一番だと思っています。

 実際に、子育てをしているときには、自分の生活、家族の生活をしていくことが精一杯で、なかなかそんなことを考えて子育てをすることはできないと思います。そんな時に、余裕をもってお母さんとお話しできる人がいるということが少しでも、余裕をもって子育てをすることにつながるのかなと思っています。

 特別支援学級の担任をさせていただけたこと、この時の2名の子どもたちとその保護者の方々に感謝しています。

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