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研究と医療現場の矛盾

こんにちは、代表取締役の牛場潤一です。

もう長いこと、朝一番にオフィスでコーヒーを淹れることが日課になっています。お気に入りの浅煎りの豆をスプーンですくってミルに入れ、ぼんやりを色々なことを空想しながら、ガリガリとハンドルを回します。引き終わった豆をドリップして、ふわふわと粉が膨らんでいけば大成功。お湯を慌てて入れすぎず、かといって慎重にちょろちょろしか入れないのもダメ。上手にペースを保って美味しくコーヒーを作るのが、なんとも楽しい時間です。

こんなときにも、私は「まひした手」を治すことの大切さを感じます。脳卒中のあとに生じる片まひという症状は、その名の通り「体の片側にまひが残る」ことを指します。逆を言えば、もう片方の手は支障がないわけですから、病院では一般に「まひが無い方の手を使って、じょうずに生活が送れるように工夫しましょうね」という指導がなされます。

でもやっぱりまひした手も使えるようになりたいよな…。そんなことを、両手を使ってコーヒーを淹れているときに思うのです。便利な代替手段があったとしても、自分の身体の一部である「まひした手」を少しでも良くして、その手でコーヒーをもう一度美味しく淹れてみたい。まひになったら、誰しもがそんなふうに思うのではないでしょうか。慌ただしい毎日を過ごすなかで初心を思い出し、患者さんに届けたい想いは何なのかを確認する、毎朝の大切なひとときです。

正しいのは、どっちだ?

前回のブログでは、「現場の人になる」というエピソードをお話ししました。現場を見聞きする程度ではなく、自分自身が現場の一員になることで、初めて気づくリアルな矛盾。今回は、なかでも自分が最初に直面した2つの矛盾について、お話しをしたいと思います。

理工学部でAIやロボットなどのハイテクな科学技術を学んだときに、最初に言われる応用方法は、「人がやる仕事の置き換え」です。例えば単純作業の繰り返しは、人がやるよりAIやロボットにやらせたほうが効率的だという文脈です。AIやロボットの判断や動作は、人がやるよりも精確で疲れ知らずだから、積極的に置き換えを進めて省人化を目指しましょうー こうした考え方は、私が学生だった当時のリハビリ工学においても中心的だったように思います。でもリハビリの現場で毎日を過ごしてみると、これとは違った景色が見えてきます。患者さんは多様な疾患、多様な症状、多様な生活背景を持っていて、一人として同じ状況の人はいません。もともとの性格や、病識と今後への意欲もまちまちで、一人ひとりに寄り沿ったベストな医療を考案するのは、やはり人の心が分かる「人」にしかできないとの想いを強くします。さてはて、AIやロボットが真にリハビリ医療に役立つ局面は、本当にあるのでしょうか…?

もうひとつの課題は、基礎研究を実際のリハビリ医療に応用しようとするときのものです。学生時代、神経科学を学んでいる時に、しきりに目にしたキーワードは「可塑性」*1です。可塑性とは、毎日のトレーニングによって脳のなかの神経回路が組み替わり、新しい機能が脳に宿る性質のことを言います。脳のけがや手術などで脳組織が半分くらい欠損してしまったとしても、この「可塑性」のおかげで驚くような回復を遂げる患者さんの例が、教科書には載っています。その一方で、リハビリの現場で支配的な考えは「脳の機能は治らない」という、諦めに近い固定観念です。1906年にノーベル生理学・医学賞を受賞したスペインのカハール博士は、「一度成長して完成した神経は再生しない」という有名な言葉を残していますし、事実、大規模な調査研究の結果や日頃の診療実感からも、発症後6ヶ月以降に機能回復は見込めないというのが、リハビリ現場を強く支配する常識でした。さてはて、教科書で喧伝されていた「可塑性」とは、いったい何だったのでしょうか?

理工学部でハイテクを学び、脳科学の基礎に触れた私が、リハビリ医療の現場の人になって大きく戸惑ったことは、こうした矛盾に満ちた(ようにみえる)現実でした。同じものを見ているはずなのに、研究と臨床の現場という違う立場に立ってみると全く異なる光景が広がっているー 大きな困惑でもありましたが、それは同時に、こここそが自分が切り拓くべき未来への起点でもあると確信した時でもありました。

*1 可塑性についてはここもぜひご確認ください。


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