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テクノロジーは省人化技術か?

こんにちは、代表取締役の牛場潤一です。

早いもので、今年ももう半分が過ぎました。7月7日の七夕は、やはり今年も雨模様でした。織姫と彦星が出会える日は、もう少し後になりそうです。

私は星空を眺めている時間が、とても好きです。小学生の頃に、ギリシャ神話が書かれた星座の本を抱えて空を見上げては、「あれがオリオン座か」「あれが、髪の毛座っていうやつかなあ」などと、空想を巡らせていました。無数の星たちが散らばる天空の広がりをただただ見上げて、光のシャワーを浴びるのも気持ちが良いものですが、はるか数千年前にこの地上にいた人々が星にロマンを感じ、物語を空想し、語り継いできた神話に想いを馳せながら、謎解きのように夜空を見つめる時間は、時間や空間から解き放たれて心がどこまでも広がっていくように感じられます。

私が研究をしている脳もまた、長い間、本当に多くの科学者たちがその謎を解き明かそうと努力を積み重ね、さまざまなストーリーが織り上げられています。ロマンと可能性を生み出す作り手の一人として、日々この世界に関われていることをとても幸せに思います。みなさんがこの世界を眺めるとき、その手に携えるガイドブックのような役割を、私たちLIFESCAPESや、LIFESCAPESからご提供する製品たちが担えたらいいな、といつも思っています。

人に寄り添うテクノロジー

前回のブログでは、現場で気づいたリアルな課題について、2つのことをお話しました。1つめは「テクノロジーが人の代わりになる」と喧伝されてきた、オートメーション化や省人化に対する違和感。2つめは、基礎研究で探求されてきた「可塑性(脳が機能を書き換える性質)」が現実には通用しないのではないか、という懸念です。今日は1つめの話題について、私の考えをお伝えしたいと思います。

これまで長いこと医療の現場を見聞きして得たものは、「テクノロジーは、人の代わりにはならない」という確信です。人は人に理解され、人とつながることによって初めて、生きる喜びを感じる生き物であるー これは、さまざまな患者さんの想いを直接伺うなかで深く実感し、自分自身の経験からも強く信じるに至ったことです。私たちは、人間社会のなかで暮らしています。自分が病気と闘い、障害と向き合い、改めて自分の生き方を問い直して人生の再スタートを切るときに、自分を理解をしてもらいたい相手、繋がりを持ちたい相手は人であり、テクノロジーではありません。医療従事者もまた、患者のひとりひとりの想いと状況に寄り添いながら、人間らしい生き方の再建を叶えたいと願っています。医は仁術であり、医療を支えるテクノロジーは、そのための道具でしかないと思います。

医療に使うテクノロジーを「道具」として割り切ると、テクノロジーが備えるべき機能がおのずと見えてきます。人間が本来持っている、「治る力」を最大限に引き出してくれるテクノロジー。現在の医療ではアプローチしにくいことに「手段」を提供してくれるテクノロジー。

このようにして、私たちが研究開発するブレイン・マシン・インターフェース(BMI)のあり方もデザインされました。人の手ではアクセスしにくい手指の訓練、脳機能の訓練をセラピストがするための道具として位置付けています。これによって患者の脳が機能を修復していく過程をお手伝いします。脳に障害があり、体にまひがあるからといって、安易にロボットにその機能を代行させるような選択肢では、決してありません。

脳卒中になり、まひが残る体と向き合いながら、「もう一度あの生活を送りたい」と願う気持ち。近くにいてくれる自分の大切な人のことを想い、「ともに支え合える生活を、もう一度整えたい」と願う気持ち。そんな患者さん一人一人の切実な想いにドクターやセラピストが向き合い、治療を施していくなかで、病後の脳や体に残っている「治る力」を引き出すお手伝いをする道具。人間同士の営みを中心に置いた上でテクノロジーを位置付けるという姿勢を、私は現場の人になり続けることで学んだのでした。

2つ目の話題、すなわち、基礎研究は現場で通じないのではないかという懸念については、また次回のブログでお話したいと思います。

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