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第22話 設楽原の戦い

設楽原の戦いは、戦国の戦の戦略が変わった戦とは、
私が小学校の時から教わってきました。
細かいところは様々かと思いますが、ほぼ今でも変わらないことが
言われているかと思います。

この局面において、大河ドラマの中でも織田信長の采配によるものであったことになっています。
否定する気はありません。

注目したいのは、
徳川家康「一体、何丁の鉄砲を・・・」
秀吉  「3000 でございます。
     もはや、兵が強いだけでは戦には勝てん。
     ゼニを持ってるものが勝つんだわ。
     最強たる武田兵も虫けらのごとくだわ・・・はっはっはっ」
兵が強いだけでは勝てない時代になったこと
お金がないと勝てないこと。
最強と言われてきた武田兵すら「今」では最強ではない。
そのことを語っています。
その後
信康  「父上、これは戦にございますか?これは、なぶり殺しじゃ。」
恐らく、今までの戦と違った近代戦で想像と違うことが目の前で起きて、
批難する言葉しか出なかったのでしょう。

このよに予想と違う展開になり、命の危機が私たちにも最近、
体験してたと思います。
そう・・・コロナ禍。
コロナ禍で想像していない日常を暮らすことを求められた私たちは、
様々な人間味が出てきました。

オンラインになり「オンラインなんて・・・!」と怒る人
「オンラインなんて・・・」出来ないことがばれたらどうしようと怯える人
オンラインになり「雑談気晴らし」が出来ないと嘆く人
孤食となり淋しさを感じた人
今までが通じない世の中を目の当たりにして感情が揺さぶられた方は、
多かったのではないでしょうか?

大きく気持ちが揺さぶられた時に自分がどんな時に、
どのように感じたのか?
それは、良い悪いではなくとても大事なことなのですよ。
自分が感じたことに罪悪感を感じたとしてもネガティブに感じたことは、
感じたものとして見つめてみましょう。

信康  「父上、これは戦にございますか?これは、なぶり殺しじゃ。」は自分の対面を考えた言葉だったとしたら、
    これは想像していた戦と違います。
    こんなのは戦と考えたくありません。
    なぶり殺しといいます。と、
信長の行為を批難したようにとらえることが出来ます。
しかし、本心は今までと違うことに対しての戸惑いと怯えがあったとしたら
    これは、自分が想像していたものとは違います。
    これを、私は戦と呼べません。
    自分には出来ない「なぶり殺し」ができる信長怖い
価値観を否定されたことの怒りと信長への恐怖心も生まれたのでは
ないでしょうか?
感情が揺れ動いた瞬間って、案外と本心が言えなくなり防衛してしまう
ことが、多いのではないでしょうか?
それが、悪いことではないのですが、モヤっとした時には、
1度、大元の感情を見つめ直して、もしかしたら想像以上に防衛している時かもしれませんね。


 

寒川神社の神嶽山神苑を堪能した後から寒川駅まで徒歩で向かいました。
当然、遠回りして向かいます。
若干、坂を登り東方面へ。最初に向かったのが宮山遺跡です。
今は、埋め戻され公園?になっています。

寒川神社から少し高台にあるのがわかるかしら?
(写真のセンスがないことに今後悔・・・w)
そのまま進むと中原街道へ
中原街道出ると

十三塚
説明版が見えない。悔しい・・・

十三塚は、北は岩手県、南は鹿児島県まで分布しており、
神奈川県では27か所が知られています。配列はほぼ一直線に並ぶのが
基本と考えられ、村堺や街道筋に沿ったものが多く、
当地の十三塚もその一例といえます。
「おこり塚」は、かつて15基存在したと伝えられる塚の中で最も大きな規模となっています。昭和62年に実施した発掘調査の結果、
中世後半(室町~戦国時代ごろ)に築造されたと考えられています。
寒川町教育委員会

写真のような塚を4つほど見ることが出来ました。
目印にもなっていたのでしょうね。
知らなかったら、ただの盛った山にしか見えないのが辛い。
続いて、菅谷神社へ



ものすごく雰囲気が良くてきれいな神社でした。
そして、この神社もそこそこ高台にあり裏には岡田遺跡の跡が・・・

埋め戻されてますが・・・

木の向こうに菅谷神社があります

未調査区域を含めると推定で1000軒から1500軒に上る日本最大級の縄文遺跡だったようで、埋め戻してしまっているので史跡指定にすることができなくなってるそうです。
1000軒~1500軒なら三の丸遺跡に並ぶのかしら?
標高24mの相模野台地にあるのですが、寒川駅近くまで海だと考えると・・・暑くて疲れたけど、駅まで歩いて行くことにしました。

今まで坂を登ってきたのですが、菅谷神社起点に下り坂って感じになります
駅まですぐそこのところに、安楽寺

本殿の裏にまわると・・・やっぱり登るw

大神塚古墳

形状は前方後円墳。
登れます!犬が散歩に来てるほどの登れますw
ここから、海がのぞめたのかしら?
被葬者は明らかでないが、地元では初代相武国造の
茅武彦命(かやたけひこのみこと)と伝承される。

お寺さんの南側から出ると坂道の途中になります。
見える範囲のところに石棺が残されています。

今回の寒川神社周辺はここまでといたします。
お付き合いありがとうございました。

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