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第6回 続・瀬名奪還作戦

今回も忍者、服部党が大活躍!
とは言え甲賀忍者も出てきたけどねぇ~

上ノ郷城については、下記の記事をお勧めです

鵜殿長照「忍びか・・・元康卑劣なり」
城が攻められ、半鐘がなるなか鵜殿長照が言い放った言葉です
その後も度々「おのれ虫けらめが!」と弓で半蔵を打とうとしたり、
「虫けらどもの手にはかからぬ」と言い自害
非常に忍びを下に見ていることが伺えます

また、下にみられている自覚があるのか半蔵のプロフィールにも
「先祖が忍びの郷・伊賀出身なので、忍者とよく間違えられる。本人は武士と思っている。そんな自分にプライドが持てず、人づきあいが苦手」
忍びであることを良しとは思っていない節があります

通常は危険な仕事をさせられながら、あまり報われないのが忍者なのですね
しかし、戦国時代はそれなりに忍者集団を抱えていたようです
今川家にはいなかったのかしら・・・

今川氏真「上之郷が堕ちた。卑しき忍びたちを使い、夜討ちをしたらしい。
     武士らしく正々堂々と戦うことすらできぬようじゃ。
     そなたの夫は・・・もはや、一片の情けをかけるには値せぬ。
     きゃつに届けてやることにした、そなたたち一同の首を!」
瀬名と家康の子どもから首をとれと言い放った

しかし、私は「武士らしく正々堂々と戦う」ってなんだろう?と
思うのですよ
責めているわけではなく、ここは現代にも通じるところかと考えます

今まで上手くいっていたことが、何かの拍子で上手くいかなくなった時
うまくいかなかったことに気がついたら
何が原因だったのか?反省点をみつけようと試みることがあります
早ければ早いほど良いと思いますし、ことが小さければ小さいほど良いうちに、原因を見つける手段は多く持っていた方が楽かと思います

例えば、戦国でのし上がっていく強い武将は忍びを抱えていました
しかし、鵜殿長照も今川氏真も「卑しき忍び」とし、
忍びに負けたにもかかわらず「武士らしく正々堂々と戦う」ことを
良しとする価値観を崩しません

状況が変わっても「今までと同じことを繰り返す」ことは、
同じ失敗を繰り返してしまいます
その時に必要なことは自分を俯瞰してみて「気づき」を得ることだと
思うのです
「気づく」とは、交流分析では自己理解につながり、
「見て、聞いて、触れて、味わって、臭いを感じて、物事をそのまま受け止める」ことを言います
都合の良い部分だけを選んで受け止めたり、都合の良いように情報を解釈したりしてしまいますと、思考のクセが出て偏ってしまいます
自分としっかり向き合い、せめて自分にだけは建前ではなく、
正直に素直に向き合っていく事は大事なことではないでしょうか?

今までのイメージと異なる「家康」を書いている脚本家の狙いは、
「続」をつけるほどのインパクトで「固定観念を疑え」なのかもしれないと思った回でした


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