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第4回 清須でどうする!

清須同盟は、多分、家康19歳ぐらいの時の話かな?
織田信長が27歳ぐらいかな?
この辺り自信がありませんが・・・

前回の於大の方の「主君たる者、家臣と国のためならば己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ!」この一言は家臣が言い出すことが出来ず、
生母於大の方だからこそ言えた言葉で、
主君としての自覚を促したと思います
つまり、家康の価値観に大きな影響を与えたということです

さらに、追い打ちをかけたのがお市の行動だったように感じます
まずは、清州が栄えていることを山の上から実感させています
お市「兄は、この数年で何もかもを作り替えられた。
   特に桶狭間よりのちは、人も富も勝手に集まってくる。」
  「力さえあればなんでも手に入る。力さえあればどんなに大きな
   夢も描ける。愉快このうえない・・・ただし男であれば・・・」
と、伝えるますが、家康は「愉快」という言葉に引っ掛かりを感じています

そのうえで、信長はお市を娶ることを勧めます
信長はお市の気持ちを知っていたのでしょうが。。。

そこで起きた出来事が、大高城では勝っていたことを信長に伝えた家康は、秀吉に「今川義元をおびき出すためのエサなんでよ。だが、義元はなかなか   
    腰を上げん。おかげで大高は落ちる寸前。そこに我らが
    元康(家康)殿が、兵糧入れにやってきてくれた。殿はわしら兵に   
    命じられたわっ。そこそこにあしらって、通してやれ」
先の戦での働きが義元の首を信長にとらせる要因になっていたことに
気がつかされた
家康「うそじゃ!ありえぬ、全てが罠だったなど、うそじゃ!
   そんな芸当が出来るのは、戦神ぐらいのものじゃ!」
信長「神か・・・」
秀吉「まっ、ものの見方という話です」 

前回も含め、今回も人は人から影響を受けることで成長していくことが分かりますが成長するためには、今まで培ってきた価値観や道徳観に
新しい経験を追加する必要が出てきます
成長していくためには「今、ここ」での自分が「今」必要とされている情報を自分で追加していく必要があります

身近なことでコロナ禍で今まで給食を配布していた時しかつけていなかったマスクを普段でも着用するようになったことと同じ心が働いています

交流分析的にお伝えすると、
判断する心の機能Aを使い「今、ここ」で必要な情報を得て、
親Pの機能の中に情報を蓄え、子どもCと親Pで内向的に
「どうする?」と話し合い、決断するAを使い行動を起こす
と言った感じでしょうか?
秀吉の言う通り「ものの見方」は、さまざまな角度から変えて見ることで、
大きくショックも受けますが、気がつくことができれば、
大きく成長することが出来るのではないでしょうか?

もう1点、交流分析的に見て「角度のある交流」がハッキリと出てきた
場面があります
「今川に戻らなければ、関口家(瀬名の実家)は皆殺し」
家康に今川氏真より書状が届きました
家康は於大の方の言われた「己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ!」
に気持ちを切り替えることが出来ず苦しみます
苦しんでいる姿をお市に見られてしまします

家康「お市様、申し上げたき儀がございます。この期に及んで誠に心苦しい
   ことではございますが、私は・・・私は・・・」
お市「市からも申し上げたきことがあって参りました。
   やはり嫌です。兄の言いつけとはいえ、元康殿のような
   か弱き男の妻となるのは、やはり嫌じゃ。
   この話、お断り申し上げたい」

お市は、婚礼に向けて着物の寸法を測るために家康の所に足を運んだほど、
家康との婚礼を前向きに喜びはしゃいでいたにもかかわらず、
突然「この話、お断り申し上げたい」と言い出しました

これは、家康が駿府に残した妻子のことで苦しんでいる気持ちを汲んで、
家康から婚儀を無効にすることは、政治的にも家康の心情を考えても
辛い事だろうと考え市から断りを入れたと捉えることが出来ます

やりとりとしては、相手が伝えて事に対して的を得た答えをしていません
しかし、助かったと相手に思わせるやりとりとなります

ただし、このやりとりは本当に相手の望んでいることを汲めた時にだけ有効となり、一つ間違えば「お節介」「話が通じない」と思われる危険性もあります

でもね、私は思うのですよ
相手の気持ちをドラマのように汲み取れる方が珍しいと思うのですよ
ですので、もし間違った汲み取り方をしてしまった時は
「ごめんね。勘違いしちゃった。」「ごめんね。先走っちゃった」
なんて、素直に認めて謝れるかどうか?ということだと思います

 


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