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後見人と口争い

昨日はせっっかくの日曜日なのに、、午後2時から後見人と拉致のあかない話を3時間もした。サイゼリアで義父が後見人に大声で話し、店に迷惑なので10分で退散し、近くの広場のベンチで話を再開(汗)

まず後見人とは。。。認知症などで自身で判断できなくなった人の代わりに財産の管理などをする代理人のこと

そもそも始まりは5年前、義父の叔父がデイケアの介護さんから、判断力が低下しているから、後見人をつけるよう進められた。そのためには家族の署名付きの書類を家庭裁判所に提出すれば、後見人制度が始まるらしい。義父は、当時仕事が忙しく、内容をよく確認せずにサインをした模様、、その結果よくわからない輩が後見人となった。ちなみに、一度サインすると取り下げができないようだ。

【登場人物】
後見人=K(NPO法人なの🌸、なんと響きの良い名前だ)
被後見人=義父の叔父
被後見人申立者=直系の子供とは絶縁しているため、義父となった

後見人になったKは、義父の叔父の代わりに病院代をやりくりしたり、家の売却、通帳の管理など行った。資産管理方法や使用方法の、詳しい説明や報告がなかったため、義父はずっと不満に思っていた。いつもどんどん物事を進めているのが気に食わなかったし、報告内容に認識齟齬があり、Kを信用していなかった。

よく状況が把握できていない母と感情的になる義父は、後見人とのやりとりの中で、何が正しいのかどのように対応して良いかわからないかった。とにかく後見人と話が噛み合ったことがない。

今回は、義父の叔父も亡くなった後で、後見人の最後の仕事である、残資産の引き渡しと、後見人申立者のサインをもらうことだ。私も同席することになった。私は感情的になることは少ないが、今回の後見人との話に同席し、Kの矛盾した発言、誠意のない態度、自身を守る証拠はちゃんと記録しているのに後見人として実行したことの詳細の記録はないところに腹が立った。
結局、義父は最後まで腸が煮えくり返っており、最後の署名もしなかった。
このまま終わらせるのが嫌だったのであろう。

人の死際に、他人が資産を管理して良いのだろうか。
自己判断がつかないと第三者から判断された人は、これまでの資産を易々と任せてしまっていいのだろうか。

この制度が本当に世のためになっているのか疑問しか残らない。
家を売却した後見人は、ボーナスがもらえるとどこかの記事に書いてあった。
生きている期間の少ない人に何をしても、いずれは死人に口なしということで、掘り返すようなことをする人もいなくなる。法にさえ触れてなければ、資産を搾取しようとすればできるこの制度は見直す必要があるし、今回の件で、このように死後に穏やかに逝くことができないことが一番悲しいことだと思った。

献身的になって対応をする後見人でなければ成り立たない制度だが、
人間がする以上、それは難しい。

こういった経験は、人生でそう何回も遭遇することではないので、専門以外はみんな素人である。だからこそ、都度調べたり状況把握をすることがとても大切だ。義父ももっと調べるべきだったし、私に任せておけばなんとかなる、、と少なからず思っていたと思う。ただ、感情的に後見人と話ていただけだ、いつも両者の間では話が進まなかった。

でもやっと終盤が見えてきて、言葉にできない何かに追われているような重荷が取れそうだ。

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