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きょう心にしみた言葉・2023年8月7日

居場所の語源をたどると、古代の用語では「居どころ」といい、この居どころというのは「尻」という意味もあり、「おいど」とも言ったらしいです。つまり、居どころというのは、そもそもお尻をつけていられる場所、座っていられる場所を意味したそうです。
なぜ尻なのかというと、尻って弱点なんですね。ボノボなんかは、険悪なムードになってくると、お尻とお尻をこすり合わせる。一番弱点のところをすり合わせることで和解しようとする。
だから、居場所というのは、弱点を預けることができる場所のことです。

「悲しみとともにどう生きるか」(入江杏・編著 集英社新書)

世田谷一家殺人事件の被害者の遺族、入江杏さんの編著「悲しみとともにどう生きるか」から、臨床心理学者の東畑開人さんの言葉を紹介しました。「悲しみとともにどう生きるか」からの引用は、2023年7月10日の「きょう心にしみた言葉」に続いて2度目です。前回は若松英輔さんの言葉を紹介しました。

この本の中で、東畑さんは「限りなく透明に近い居場所」という題名で講演をしています。東畑さんは、大学院時代から居場所を支える仕事をしてきました。最初は、不登校の子どもたちと小さな部屋で一日中一緒にいる「心の居場所サポーター」でした。沖縄では、統合失調症の人と朝から晩まで過ごす「居場所型デイケア」で働きました。今は、自らクリニックを開き、「居場所」づくりを追求しています。
東畑さんは、ケアについても考察を進めています。「お世話をしてもらって、依存ができている時に、本当の自己があらわれ、それが剥奪されると偽りの自己があらわれる。ケアです。ケアによって、本当の自己が可能になる」「では、ケアとは何だろうか」と。
東畑さんは、ケアとは「傷つけないこと」「相手のニーズを満たすこと」「依存を引き受けること」であり、実際には「面倒くさいことを肩代わりしてあげる」ことだと考えます。
そして、こう話します。「僕が居場所に関する仕事をしている時、何か雑用が多いなと思ったのは、雑用していることがケアになっていたからなんですね」「ケアというのは、特別に心を深く掘り下げてやっていくことではなく、その時、必要としているものを、その場で提供すること。ケアは素人的なものだし、ありふれたことだと思います」
現場にいた人ならではの説得力を感じます。


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