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ヒストリー④始まりの前に・2000年8月

清水ディレクターの取材始まる


 NHK札幌放送局で報道番組を担当していた清水康之ディレクター(現ライフリンク代表)は、自死遺児11人による文集委員会とあしなが育英会が編者となり刊行された「自死で遺された子ども・妻の文集 自殺って言えない」を読んで衝撃を受けます。

高校生3人、大学生9人、妻5人の計17人の手記は、どれもが魂の叫びを綴った心揺さぶられるものでした。

中学2年の時、父親が自死した大学生の男子は、自死の前日のことを振り返っていました。お風呂に入っていると、突然父親がお風呂に入ってきたといいます。「今日に限ってなぜ?」といぶかりながら、恥ずかしくて、そそくさと浴室を出てしまいました。

もし、あの時、優しい言葉をかけていたら、父親は死ななかったかも知れない、と彼はずっと自分を責め続けていました。

ぜひとも子どもたちの話を聞いてみたい。清水ディレクターは、すぐにあしなが育英会に連絡しました。

 2000年8月、清水ディレクターは北海道地区の高校奨学生を対象にして、あしなが育英会が開いた3泊4日の「夏のつどい」に参加します。

28歳だった清水ディレクターは、NHKの職員であることを明かしたうえで、子どもたちに受け入れてもらえるよう、寸劇で女装に応じたり、バスケットボールや大縄跳びで一緒に汗を流したりしました。

そして3日目、交通遺児や災害遺児、そして自死遺児らを含んだ15人ほどの「自分史語り」の輪の中に入ります。

それぞれが親との死別体験を語り、残り5人くらいになった時、高校1年生の男子が震え出したことに清水ディレクターは気づきます。

 残り2人になった時、震えは全身に広がっていました。すると、その男子生徒は挙手をして「僕のお父さんは…」と声を上げました。

しかし、そこで言葉がとまり、に震えはさらに激しくなり、清水ディレクターは壊れてしまうのではないかと動揺しました。

5分間もそんな状態が続いたでしょうか。男子生徒は徐々に落ち着きを取り戻し、そして、ついに「僕のお父さんは自殺しました」と切り出したのです。
                                                    =続く  次回は、⑤2000年8月編「覚悟と決心の番組制作」です。


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