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ヒストリー③始まりの前に・2000年4月

歴史を刻む冊子の誕生


 2000年2月に行われた2泊3日の自死遺族ミーティングが終わろうとしていました。

遺児の多くは親の自死の現場も見ていました。互いが抱える苛烈な現実を共有し、参加者たちは激しく消耗しました。一方で、しっかりとつながることができました。

3日目の朝、ひとりの学生が発言しました。
「こういう会に来られない子どもたちもいます。文集にして伝えらないでしょうか」

この提案が、歴史を刻む1冊の文集を生み出すことになります。

2000年4月、参加した11人による自死遺族文集委員会とあしなが育英会が編者となり「自死で遺された子ども・妻の文集 自殺って言えない」が刊行されました。高校生3人、大学生9人、妻5人の計17人の手記をA5判36ページにまとめたものです。最初は3千部を刷りました。

 すさまじい反響が起きました。

1週間だけで1500件もの照会があり、「命の教育に使いたい」という学校現場をはじめ各種団体からの要請が相次ぎ、結局は、のべ13万部を発行することになりました。あしなが育英会はこれをすべて無料で配布続けました。

自死遺児たちからの手紙も数多く届きました。35歳のカズミ(匿名)さんからは「やっと出会えた」と題した詩が送られてきました。

「ボールを投げてくれて、ありがとう やっと出会えた 受け取るし、投げ返すよ 出会えたことが(悲しいことだけれど) とてもうれしい 勇気を出してくれてありがとう 一人じゃなく みんなで考えていけるんだよね」

あしなが育英会には、自殺を考える人から重い相談も入るようになりました。そして、反響の大きさは、マスメディアも動かすことになります。
                                                   =続く  次回は、④2000年8月編「清水ディレクターの取材始まる」です。

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