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ヒストリー①始まりの前に

これから綴るのは、ライフリンクが歩んできた道のりです。
NHKディレクターだった清水康之代表は、自死遺児の取材をきっかけに自殺予防に取り組むことを決意しました。2004年10月、NHKを退職してNPO法人を設立したのが、ライフリンク・ヒストリーの始まりです。
当時は全国の自殺で亡くなる人が年間3万人を超えていました。その3万人を念頭に自殺対策基本法の制定を求める「3万人署名」運動を展開しました。最終的に10万人以上の署名を集め、2006年6月の法成立に尽力しました。法施行後は、全国47都道府県で自治体とともに自殺対策のシンポジウムを開く全国キャラバンを展開しました。

自殺実態について1000人の調査を行いました。いくつもの社会的要因が重なって自殺の追い込まれている実態を明らかにすることができました。
2009年12月、清水代表が自殺対策を担う内閣府参与に就任しました。自殺対策強化月間の設置をはじめ自殺対策をめぐる様々な施策の推進に努めました。
2017年10月、SNSが犯行に利用された座間9人殺害事件が発覚しました。事件は、ライフリンクにとっても大きな衝撃でした。2018年2月からはSNSをはじめ、電話、メールによる生きづらさに苦しむ人たちへの相談業務に乗り出しています。
 現在、ライフリンクは事務局40人、相談員300人の態勢になりました。今、さらに仲間を募っています。一緒に、いのちを守る仕事ができることを願っています。



そして、時計の針を20年以上、戻してみます。

1999年秋   自殺者3万人の時代が来た


 「98年の自殺者が97年の2万4千人から3万2千人に急増」。衝撃のニュースが新聞の見出しになりました。

これを見たあしなが育英会の職員の方々は「これは大変なことになる」と危機感を募らせたといいます。

交通遺児の支援から始まったあしなが育英会ですが、自殺で親を失った遺児にも奨学金を貸与していました。
のちに副田義也・筑波大学名誉教授らが人口動態統計などを分析してわかることですが、3万2千人の自殺者とは、毎日30人の遺児ができていることを意味していました。これは交通遺児の4倍にあたる人数でした。

あしなが育英会は自死遺児のケアに乗り出します。最初の一歩となったのはが「自分史語り」でした。

「自分史語り」は、交通遺児たちとの間で始まった取り組みでした。遺児たちは、ともに語ることによって連帯が生まれ、前向きに生きる力を手にしていました。

同じように、自死遺児たちを励ますことはできないだろうか、とあしなが育英会は考えたといいます。
ただ、自死遺児たちが親との死別体験を語ることは、次元の違う負担が求められます。
周囲の人たちにも、触れてはいけないこと、思い出させてはいけないことだという見方もありました。

しかし、その「封印」がついに解かれることになります。

この年の秋、東京都の街頭募金の場で行われたあしなが学生募金オープニングセレモニーで、自死遺児の大学生らが初めて自らの死別体験を語ったのです。

それまで、誰にも言えず、胸の中にためこんでいた思いを伝えました。顔と名前は伏せられましたが、報道もされました。この勇気によって自死遺児の支援活動が始まり、その後、一気に加速することになります。

=続く  次回は、②2000年1月編「自死遺児たちの突き刺さる言葉」です。


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