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#51「『紫雲丸沈没事故』をキッカケに始まった水泳学習のこと。」

ライジャケサンタの「ライジャケRadio!」今日もがんばっていきたいと思います。「子どもたちにライジャケを!」の活動は、「トナカイクラブ」のみなさんにサポートいただいてます。

おはようございます「子どもたちにライジャケを!」代表、庵治石細目「松原等石材店」3代目、ライジャケサンタ・森重裕二です。今日もどうぞよろしくお願いします。

昨日50回目の放送を迎えまして、みなさんありがとうございます。何とか続けてきておりますけどもね。これからも100回目指して頑張っていきたいと思います。昨日は、一般社団法人吉川慎之介記念基金吉川優子さんをお迎えして、話をさせていただきましたけども、またちょいちょいゲストも呼んで話していきたいと思いますんでね。楽しみにしておいてくださいね。

できる限り少しずつ発信をしまして、子どもたちの悲しい事故がなくなるようにがんばっていきたいな…と思ってますんで、よかったらフォローいただいて、コメントメッセージなんかで盛り上げていただけたらうれしいなと思っております。どうぞよろしくお願いします。

昨日も50回の放送でね。「もう50回なんですね!」とかね。「引き続きがんばってください!」というメッセージをいただいておりまして、ありがとうございます。ボチボチがんばっていきたいと思いますんでよろしくお願いします。

今日はですね。香川県の方にとってはだいぶ大きい事故なんですけども、「紫雲丸」っていうね、四国と本州を結んでいた連絡船、今は橋が渡っているんですけども。その連絡船の事故「紫雲丸沈没事故」について話をしてみたいなと思っていますんで、最後までおつき合いどうぞよろしくお願いします。

今日はですね。「紫雲丸沈没事故」と学校プールの水泳学習のことについて少し話をしてみたいと思います。みなさん「紫雲丸沈没事故」ってご存知でしょうかね?ボク、実は香川に来てからこの話をよく聞くようになったんですけども、「紫雲丸」というのは香川の高松と岡山の宇野を結んでた連絡船の名前ですね。今はもうね、橋が渡っているので、連絡船ももうほぼなくなってしまってるんですけども…。こっち来てから事故の話をね本当によく聞くようになりました。

橋がなかったときはね。本当に大切な交通手段の一つやったみたいなんですけどもね。その航路で起こった事故のことなんですけども、「紫雲丸」というのは1947年に就航して、1966年まで運行されてたみたいなんですけども…。この「紫雲丸」は大きい事故を5回も起こしてるみたいなんですけども、今回話題にする「紫雲丸沈没事故」っていうのは、最大の被害を出した1955年の5月にあった事故のことをちょっと話してみたいと思います。

1955年の5月11日。昭和30年ですね。「紫雲丸」が高松沖に出たところで、違う船と衝突して沈没したみたいですね。そこには修学旅行中の子どもたちを中心に、あの死者を168人出したという…ほんまに悲惨な事故やったんですけどね。これ調べていくと、NHKアーカイブって昔のニュースの映像が残っているところで、昔の映像がそのまま見れてしまうんでね。また良かったら調べてみてもらえるといいかな…と思うんですけども、この事故tq本当に悲惨だったのがすごくよくわかりますけど…。

この事故、実は衝突から沈没まで、ほんまに数分やったと言われてるんですよね。救命胴衣もあるにはあったみたいなんですけども、もうあまり沈没までの時間が早かったので全員に行き渡らなかったりとか、船員さんが配ってくれたけど使い方がわからなかったりして、着ける間もなく沈没してしまったという風に言われてて、亡くなってしまった子も多くいたみたいですね。

ちょいちょいそういう事故が続いてたみたいで、「紫雲丸」の事故もかなり大きいきっかけあったみたいなんですけども、全国的に学校で水泳の授業をやらなあかんのちゃうかっていうことが世論として謳われるようになって全国の小・中学校にプールの設置が進んで、体育の中でね水泳が必修となったという話になってますね。

このプールの水泳の学習のおかげで泳ぐということができるようになった人がすごく多いと思うんですよね。ボクも含めて。実はこの水泳の学習っていうのは、そういう悲しい事故がきっかけで、昔のみなさんがすごい努力してくださって、それが広がってきた…ということが経緯としてあるんですよね。

うちの人のお母さんつまり、うちの子のおばあちゃんから聞いてると、高松の小学生は修学旅行は、その事故以降は連絡線を使わなくなったそうですね。なので四国の中だけで旅行を済ませるということが続いてたみたいですね。本当に、結構長いことが続いてたみたいなんですけどもね。それを、昔の人は「あの事故があったから、修学旅行は外に出られへんかってんで。」みたいな話もされていたんで、大きい事故やったんやな…と思っています。

ボク香川に来てから、教師になって保護者の方から「そういう事故があったんですけど知ってますか?」っていう話をされました。ホンマに最初は保護者の方に教えてもらったんですよね。ボクがこの活動してるのを知っておられる保護者の方が教えてくださって、たくさん調べてみた…ということなんですけどもね。

水泳学習が「紫雲丸沈没事故」がキッカケで始まったんだけども、最近はプールの学習がだんだん削減されているんですよね。プールが老朽化してきてもうこれから更新しない…という話になってたりとか、先生方の負担を軽減するために「水泳学習は民間に委託するんだ…というような話を聞くこともありますよね。全国的に見たら実はそのプールがない学校も結構あるようでね。ボクちょっとあまり知らなかったんですけど、プールのない学校も結構あるみたいです。なんで、水泳の学習というのを経験しなかったりとか、今後を経験しない子が増えてきたりとか、時間数的にも減ってくるっていうことが、もう確実に予想されている状況なんですよね。

なので、この水辺のことっていうのは家の環境によって全然、水になじみがあるかないか…みたいなのが、だいぶ変わってくるので…。行く子は行くけど、行かへん子は全く行かへん…みたいな話になってくるので、できたらですね。ボクとしては、教訓を活かしていくという意味でも、水辺の安全のこととか「ライフジャケット」のことはこれからしっかりと学校の方でも扱っていってもらえたらなと思ってるんです。

「学習指導要領」の方がどうなってるかっていうと…。「学習指導要領」というのは、学校でどういうことをちゃんと教えるかっていうことを書いてある文部科学省が出してるやつなんですけども…。そこには水泳学習のところに平成29年の改訂で、水泳学習の方に「安全確保につながる運動」というのが新設されまして、泳ぐことよりもまずことを大切に指導するということが明記されているんですよね。

なので、ボクらも学校の先生してた時に、水泳の学習と言ったらもう「クロール」だ「平泳ぎ」だ…と泳法の指導をよくしてたんですけども…。なかなか実は泳げない子もいるしね。浮けない子もいるしね。「ライフジャケット」着けて泳いだら安心して泳げるよ!っていうこともね…ボクは個人的には水泳の時間の5分、10分を使って話をしたりはしてたんですけども、そういうことを取り入れていってもらえたらいいのにな…と思っているところですね。

その水難事故があった香川県では、今、県の教育委員会が中心になってね「ライフジャケット推進事業」というのが進められていましてですね。学校の水泳の授業の中で、どういうふうに活用していくのかとかね、誰がどう指導していくのかみたいな話をすごいみんなで話し合って進めていますけどもね。そういうことがね、広がっていってます。子どもたちが泳げたら一番いいんですけどもね、泳げる前にまず「浮く」っていうことについても勉強していけるような環境が整っていったらいいな…と思ってるところです。

そのために「ライフジャケット」がいつでもどこでも借りられるというか、そんな環境になるように、クラファンをさせてもらってレンタルステーション広げていってるところなんですけどもね。今、クラウドファンディングで寄贈した7県、それ以外に絵本を寄贈させてもらったんですけどもね。31道府県にね。はっきり言えるのは、またちょっと改めて話ししようと思うんですけども、そういう動きを作ったことで「ライフジャケットレンタルステーション」とか「ライフジャケット」を広げていこう!というのが、確実に広がっていっているということを感じさせてもらっています。

「ライフジャケット」を寄贈した7県もそうですし、それ以外のところでも動きがスタートし始めているので、ぜひみなさんでまたこの「子どもたちにライジャケを!」の動きをシェアしていただいて、アピールしていただいてね。子どもたちが安全に水辺で遊べるような環境とか、学習が進んでいくようにね。みなさんにまたご協力いただければうれしいなと思っております。

今日はですね。「『紫雲丸沈没事故』をキッカケに始まった水泳学習のこと。」についてちょっと話をさせていただきました。いかがだったでしょうか?今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。

思いはただ1つ…子どもたちの命を守ること。
どうか1人でも多くの方にメッセージを伝わりますように…。

今日もありがとうございました。また明日。

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