日記 2020/04/06 読了の文字

牟田郁子の『校正者の日記 二〇一九年』を幸運にも手に入れることができて、昨日から読んでいる。少しずつ読みたいと思っているが、おもしろく、どんどん読み進めてしまう。
ただでさえ校正者としての仕事で本と関わるだろうに、2、3日に1冊のペースで(もしかしたらもっと速いペースかもしれない)読了と書いてあってすごいと思う。本当に本が好きなんだろうなぁ。この前のトークショーでもそのことが窺えたが、実際に日記で読んでいるとそのペースに驚愕する。多読がえらいわけではないが、本が好きで好きで読んでいることが伝わってくる。

その数日ごとの書いてある「読了」の文字がいちいち気になってしまう。感想は書いていないことの方が多いけれど、たまに感想が書いてあることがあって、そのときはその本をすぐにでも買って読みたくなる。既に読んだことのある本が出てきたときには嬉しくなる。

僕は基本的に並行して数冊を読んでいるから、牟田さんのように数日ごとに読了することはまずない。たぶん今は10冊くらい並行して読んでいる。それぞれ分厚さが違う本なのに、読了するときはなぜか同じタイミングであることも多い。

本当はもっともっと読みたい。さっきも言ったように、多読がえらいと思っているわけではない。読みたい本はたくさんあるのに追いついてないだけだ。読まなければいけない本ではなくて、読みたい本。だから、欲張って数冊を並行して読むことになってしまっているのかもしれない。

数日前に柴崎友香の『パノララ』を読了した。
繰り返される同じ日。同じような日ではなくて全く同じ日が何度も繰り返される。それも悪夢のような日だ。涼宮ハルヒのエンドレスエイトと似ている。同じ日だから、2回目からは1回目には気づかなかったことにも気づく。3回目以降はまたこれかぁと嫌になる。悪夢のような1日だから余計にだ。

視界の中に入っているもの。それはただ視界に入っているだけで実際には見ていないということが多い。視界に入っているものすべてを見るということは不可能だ。そもそも「見る」ということはとても難しいことなのだと思っている。視界に入る=見るということではきっとない。

むしろ今は意識的に見ることを拒否している状態であると思う。直視し続けるには現実はあまりにも厳しい。

家にずっといると、同じような日が毎日続く。ついに緊急事態宣言が出されることになる。エンドレスワンマンスになる模様。まぁまったく同じ毎日ではないけれど、それでも、ずっと家に居続けると何の変化も感じることができずに日々が過ぎ去ってしまう可能性がある。

自分の家にこもりながら、目の前のことをどう意識的に見るか。景色に変化がないのだから、これまで以上に見ることは難しくなる。娘にとっては大切な1ヶ月だ。

ゴリけんがコロナウイルスに罹ってしまった。当たり前だが、ゴリパラ見聞録もしばらくは新作は放送しないとのこと。新作はいつまででも待つから、ゴリけん、1日でも早く元気になっておくれ〜!

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