日記 2020/06/25

昨日の昼休み、町屋良平の『ぼくはきっとやさしい』を読んでいた。

2章に入り、物語は日本から旅先のインドへ移る。バラナシ行きの電車の切符を買いに行くためにニューデリーの駅の構内をさまよう主人公の岳文とその友人の照雪。窓口を見つけるまでに多くのインド人に話しかけられ、切符を買う窓口が全然見つからない。人。熱気。ここを読んでいて、外国で寄ったどこかの駅の構内を思い出した。記憶の光景は次第にはっきりとしてくるが、それがどこなのかわからない。タイか?タイの駅や空港も人でいっぱいで蒸し暑さにうんざりした記憶がある。でも、タイだったら妻が一緒にいた。人やバイクの多さ、蒸し暑さなどでわけはわからなかったけれど、妻が一緒だったから全然不安ではなかった。思い出したその記憶には大きな不安と焦り、ワクワク感など様々な感情が混ざっていた。タイではなさそうだ。どこだろう。人が多く、熱気があり、少し危なっかしくてごちゃごちゃの感情を抱えたこの感じ。本を置いてしばらく記憶を辿った。

数分考えてようやく思い出した。ニューヨークのバスターミナルだ。

Woodstockに行くまでにバスに乗らなければならず、しかしニューヨークのバスターミナルは巨大で、どこで乗ればいいのかさっぱりわからなかった。大きなスーツケースとショルダーバッグを携えていた。一通り回っても自力では見つけることができず、バスターミナルに入ってすぐの窓口で尋ねることにした。早口の英語で教えてくれたが、なんとなくしかわからなかった。
とりあえず、わずかに聞き取ることができた情報をもとにもう一度構内を回ることにした。1周目、見つけることができず。2周目、やはりない。もう一度窓口へ聞きに行くか、そう思って2階から1階に降りようとしたが、気が変わってそのまま回れ右。2階をもう一度だけ確認することにした。窓口で聞いた時には確実に2階にあると言っていたのだ。嘘を言われているか、2階の単語一つを聞き間違えていなければ確実にあるはずだ。

Woodstockは小さい街だ。Woodstock行きのバスはなかった。ただ、Woodstockを経由するバスをようやく見つけた。とても分かりにくい場所だったように覚えている。

WoodstockにはLevon Helmのライブを観に行くことが目的だった。The Midnight Ramble。果たしてたどり着けるのか、本当にLevon Helmに会えるのか。またボラれたりしないだろうか。

僕はJ.Fケネディ空港に着いて最初に乗ったタクシーに200ドルをボラれていた。白タクだったが、最初は白タクだと気付かなかった。係員の人に聞いて、ホテル行きのバスならあそこだよと言われて、そこで乗ったのが白タクだっただけだ。もっと気をつけるべきだったと今では思うが、空港でもホテル行きのバス乗り場がわからず散々迷いに迷い、しかも岳文たちと同じように空港内で50人くらいの人に声をかけられまくっていて疲れていた。自力では無理だと悟り、トランシーバーを持った何かの係員にしか見えない人にホテル行きのバスを尋ねたのだ。それが白タクだった。

バスターミナルでもその不安がまだ残っていた。だが、結果的には無事にWoodstockを経由するバスに乗ることができて、Levonにも会うことができた。

バスターミナルの構内の光景を思い出したのは2011年にニューヨークに行ってから初めてのことだと思う。Woodstockやマンハッタンのことは何度も思い出すけれど、バスターミナルのことを思い出すことなんかない。『ぼくはきっとやさしい』で描かれていた岳文の感情によってたまたま思い起こされたのだろう。

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