日記 2024/10/28〜2024/11/03
2024/10/28
腰骨を骨折してからずっとリハビリを続けてきた祖父だが、これまでは介護施設の部屋が空いていなかったので母が毎日ケアセンターに出向きながら何とかやりくりをしてきた。祖父も腰骨は痛いし、自分の思い通りに動くことができないなどで、周りに当たり散らすこともあったという。先日僕が電話で話したときには、それまでと同じ祖父の声色と明るさではあったが、ストレスは極限にまで溜まっていたのだろう。数日前、ようやく介護用の部屋が空いたとのことで、そっちへ引っ越したのだと連絡があった。ところが、物が多く、引っ越しが大変だったのだという。
祖父母の家には大きな庭こそあったものの、家自体は特段物が多いわけではなく、常にスッキリしているイメージだった。もっとも僕らが遊びに行くときには整理をしていたはずだが、それでも子どもだった僕らは家の中を探検することが遊びだったので、物を隠したのであれば探し出したはずだ。弟と一緒に祖父のエロ本を探し出して、こっぴどく叱られれたこともある。子どもに物を隠すのは難しい。ともかく、物が多いイメージはない祖父だったが、その代わりに物に対する一つ一つの執着はあった。戦争中の資料だったり、綺麗に整理した写真だったり、遊びに行くたびにそれらを取り出して僕らに見せてくれた。僕が高校になったときには、これらだけは自分が死んでも捨てて欲しくはないと訴えていた。そういった物がケアセンターの部屋にも置いていたのだろうか。ケアセンターに移ってからの祖父の生活をあまりに知らないから、どんな物を持っていたのか、もちろん生活する部屋なのだから日用品だけでも結構な量にはなるはずだが、日用品以外にもあったことだろう、それがどんな物だったのか想像ができない。
ひとまず、介護用の部屋に移ることができたと聞いて安心した。95歳を超える祖父の腰骨が元通りになる望みは薄く、今後は車椅子がなくては動けないだろうし、生活するにも介護が必須だからだ。母も、これですこしは楽になるだろうと言っていた。
書きながら祖父が保管していた写真の冊子のことを少し思い出していたのだけれど、その多くは海外旅行だったり、僕や弟が移された写真だった。10冊以上もあった冊子だったので、祖父がそれらを選んで見せてくれたのだとは思うが、母が若い頃の写真は数えるほどしか見たことがない。今になってもっと見せてもらえばよかったとも思うが、何度も見せてもらったそれら海外旅行の写真や僕や弟の写真はよく覚えている。田平町にある田平公園に行くのが好きで、子どもの頃から何度も行ったが、田平公園で映した写真が一番多かったか。写真を見なくても思い出は蘇るが、いま祖父が映した写真を思い出しながら田平公園の思い出を思い出しているのか、田平公園の記憶を直接思い出しているのかよくわからない。でもたくさん写真を撮ってくれ、後でそれらを何度も見せてくれたことは強く記憶に残っているものらしい。あれらの写真の冊子はどこにいったのだろうか。今の祖父の部屋にあるのだろうか。
2024/10/29
今朝起きたときに嫌な頭の痛みがあり、風邪の予兆のような痛みだったのでマズいなと思い、コロナが治ったばかりで風邪を引いては最悪だと思っていたのだが、昼を迎えるまでに徐々に痛みが引いていった。夜も寒さで目覚めることが多くなり、風邪を引きやすい状況であることは間違いなく、体が冷えないようにしないといけない。31日は青葉市子のライブ、来月の頭には帰省する予定で、いつだってそうだけど、このタイミングで体調を崩したくはない。
コロナになって10日以上経過し、注意しながら生活する期間もすでに終わった。コロナであることがわかってから別々の部屋で過ごすようにしていたのだけれど、別々とは言っても狭い我が家で完全に生活空間を別にすることは難しく、家族に移ってしまうだろうと考えていたが、今のところ移っている様子はない。無症状というだけかもしれないし、もっとも僕より数日前に体調を崩して急性咽頭炎と診断された妻がコロナではなかったのかと疑っているのだが、確認しようがない。とりあえずは移らなくてよかった。まだ油断はできないけれど。
昨日は友田とんのトークショーだった。咳も出ないし体調も問題なかったので参加した。友田とんさんらしい脱線しまくりの、おもしろいトークショーだった。
友田とんさんもスペイン語を勉強していた期間があったとトークショーで仰っていたので、トークショー後にそのことについて話した。「代わりに読む人」をスペイン語に訳した文章がたしかエッセイだったかに書かれていて、そのことについて尋ねたのだが、それを訳すときにも迷ったということだった。一度英語にして考えられたそうだが、代わりにというのをon behalf ofにすると表現が強すぎる、いろいろ考えた結果、代理人というスペイン語を充てたということだった。
改行がない「族長の秋」とは違って、「百年の孤独」はスペイン語と訳文を照らし合わせると、だいたいの箇所はすぐに見つかって、比較するのも
面白いと聞いた。スペイン語でガルシア・マルケスに手を出すのは難しいと考えて手を出していなかったが、照らし合わせながら読んでみるのもいいかもしれない。
先週はスペイン語レッスンに参加できなかったので、今日は2週間ぶりのレッスンだ。この2週間、Duolingo以外はスペイン語にほとんど触れていない、単語の学習も進められていない。言語学習はやはり継続が大事で、少しでもサボるとまた学習するのが億劫になってしまう。昨日のトークショーからの今日のレッスンの流れはいい。ここで改めてエンジンをかけ直したい。
今日は日本シリーズは見ることができないが、テキストで試合の行方を見守りたい。相手先発が東ではあるが、こっちもスチュワートなのでいい勝負きなるだろうと思う。楽しみ。
2024/10/30
一昨日はトークショー、昨日はスペイン語教室で夜中はずっと家にいなくて、帰宅後には娘は寝ていたので、この2日間は娘とほとんど話していなかった。普段はそれでも娘は何も言ってこないし、しばらく会っていなくてもパパいなかったっけという感じなのだが、昨日はなぜか寂しかったらしく、今朝起きると娘も早めに起きてきて結構ベタベタしてきた。朝の慌ただしいときに限って猫みたいだと思ったが、最近は家にいても1人で遊んでいることも多かったので、妻が寝ている中、ベタベタしてくるのは嬉しかった。
娘はどうやら僕に訴えたいことがあって、一昨日と昨日のうちに伝えられなかったことを気にしているようだった。それは、注射後に貼られるシールを自力で剥がすことができたことの報告だった。一昨日にインフルエンザ予防接種の1回目を打ったところだった。
娘がまだ1歳くらいのことだっか、予防接種が終わったあとに娘をシャワーに入れたとき、シールをペッと勢いよく剥がしたことがあった。そのとき
娘は大泣きした。それから、その痛さがトラウマのようになっているのか、絆創膏やシールを剥がすことを未だに嫌がっている。数日貼ったままでもなかなか剥がさず、娘が寝ている間に妻や僕が剥がそうとすると起きて阻止しようとする。先日、絆創膏を貼っていた娘にゆっくり剥がせば痛くないよと改めて言ったのだが、はやり嫌だと言っていた。娘は昨日、ワセリンを塗りたくって初めてシールを自力で外したらしい。それが誇らしかったようで、そのことをどうしても僕に伝えたかったみたいだった。朝コーヒーを飲んでいるとムクっと起きてきて、まだ腫れぼったい目で顔も洗っていない状態で僕の方に近づいてきて、シールを剥がしたのだと誇らしげに言ってきたのだった。あとは2日間で作った作品などを見せてきて、すごいね、すごいねと言った。
昨日のスペイン語教室は2週間ぶりだったわけだが、なかなかスペイン語が出てこなかった。なぜだかわからないが、単語を英語のように発音して何度も訂正されたり、初歩的な言い間違いをしたり。まだ学習してそんなに時間が経っていない中で2週間もレッスンをサボると致命的になるものだ。また改めて学習し直していきたい。しかし、久しぶりのレッスンは楽しかった。
昨日のホークス戦は残念ながら負け。東が凄かった。負けはしたが、クライマックスシリーズから投げていなかったピッチャーが何人か投げたし収穫もあった。近藤健介は相変わらず凄いし、柳田もマルチヒット。今日につながるだろう。
まだ少なくとも2試合はある。最後までたのしみた。
2024/10/31
昨日のホークスも負け、結果2勝2敗でわからなくなってきた。相手先発のケイのことを知らなかったのでヤクルトファンの友人に尋ねてみたところ、6回で2、3点は取られるピッチャーだと言っていた。それであればホークスにも打つチャンスはあると思っていたのだけれど、替わるまで打てる気配はほとんどなかった。石川柊太もいいピッチングをしていたもののベイスターズはやはり打線がよく、オースティンにホームランを打たれ、ホークスは逆転する気配も見せないまま替わったピッチャーもまた打たれ敗戦。今日の先発はジャクソンなのでまた厳しい1戦になりそうだ。今日はどちらかが王手をかけることになる重要な1戦。
ヤクルトファンのその友人は来月をもって会社を辞めてしまう。新しい場所に行くのだから友人としては嬉しいことではあるものの、社内でも普段から遊ぶ唯一の友人でいなくなるのはやはり寂しい。会社からいなくなったとて縁が切れるわけではないが、会う機会は少なくなるだろう。これまで会社でいい友人に何人にも恵まれたが、みんな辞めてしまった。仲のいい同僚が他にいないでもないが、プライベートでも遊ぶような人はもういない。寂しくなる。
さて、今日は青葉市子のライブ。指定席なので楽だ。先日の折坂悠太といい、指定席のライブが続き嬉しい。30代後半になり、スタンディングのライブもしんどくなってきた。11月の角銅真実もたしか指定席ではないが座席でのライブで、坂本慎太郎はスタンディング。坂本慎太郎のライブは初めてだが、ゆらゆら帝国のライブで最前列で押されながら観たライブを思い出す。あれはいいライブだった。坂本慎太郎はスタンディングで
2024/11/01
ついに追い込まれた。ホークス、福岡で3連敗。横浜に戻ってあと1戦もしくは2戦を戦うことになる。有原とモイネロが先発になると思われるが、2人で負けたら仕方がない。打線は湿っているが、水物だから横浜に戻ってからも調子が悪いかはわからない。何にせよ、横浜に戻ることが吉と出ればいいのだけれど。
昨日は青葉市子のライブ。早めに行ってグッズとしてアダンの風のプロット集と水筒を購入。水筒は色違いのものを既に持っているが、毎日使うものなので色違いのものを持つのはちょうど良かった。ライブ中のMCで市子ちゃんが言っていたが、ペットボトルにデザインされている生き物は天使と悪魔の合いの子ということらしい。
青葉市子はこれまでcircleで何度も観てきたが、単独公演に行ったのは今回が初めてだった。野外で昼間から青葉市子のライブを観ることももちろんいいのだけれど、単独は一層素晴らしかった。市子ちゃんはMCが誰よりも自然体だ。ギターで音色を奏でながら、目の前にいる人に語りかけているような。観客はおとなしめで、誰かが言葉を返すこともないのだけれど、そこには確かな応答があるように感じられた。心の声とかそんなスピリチュアルな話ではなく、一人一人の後ろ姿から感じられたことだった。曲が終わったあとも、他のライブではまばらに拍手が起こるもので、時に曲が終わりきっていないときに拍手が起こるものだけれど、昨日のライブではそのようなことはなく、曲が終わり切ったタイミングで拍手が起こっていた。市子ちゃんはとても温かく迎えてくれたと言っていたけれど、誰も声を発しない中でも、たしかにみんな温かかった。
「みなしごの雨」や「月の丘」など、聴きたい曲も聴けた。たった一人の弾き語りだが、他のライブで感じられる緊張感がほとんど感じられず、はじめから終わりまでとてもリラックスした状態だった。これはとても珍しいことで、僕はライブはとても好きだが、演者の緊張、それは曲の緊張感も含めてのことだが、それが伝わってきて、集中が途切れたり、しばしば体がこわばってしまう。それが昨日のライブではなく、音楽がすっと入ってくるようだった。
ライブ前には新訳のウルフ「灯台へ」を読んでいたのだが、濃密な一瞬一瞬が、ライブと地続きになっているようで、それも特別な体験だった。
今回は5年ぶりの単独公演だったらしい。また次回、チケットを取れるかはわからないが、福岡でのライブが決まれば必ず行きたい。しばらくは青葉市子を聴きまくる日々になりそうだ。
circleで最初に市子ちゃんを観たのは、細野さんのライブにゲストで参加したときだった。あのときは本当に妖精のようで、ピョンピョンと飛び跳ねるようにステージに立っていた可憐な少女だったが、今はお巫女様のよう。海外でも大人気。すごいなぁ。
2024/11/02
「HOSONO HOUSE」のカバーアルバム「HOSONO HOUSE COVERS」がリリースされたので聴いたら、めちゃくちゃいい!
カバーしたアーティストはすべては確認していなかったのだけれど、1曲目の「恋は桃色」のカバーが、新譜「Planet Pearl」が素晴らしいPearl & The Oystersで、出だしからいいのだ。日本語は決して上手くはないが、味がある。くくくや安倍優磨くんが参加していることは知っていたし先行リリースでも聴いていたけれど、アルバムを通して聴くとまたいい。Jerry Paperなんかも参加しているし、カバーしているアーティストに海外勢も多い。もちろんマックデマルコもいる。
ところでPearl & The Oystersは曲が素晴らしいので注目しているアーティストではあるのだけれど、それ以上にこのユニットの男性の方が友人にそっくりで、それもあってずっと気になっているユニットだった。Pearl & The Oysters の2人はフランス人のようだが、僕の友人はアメリカ人だった。その友人は数年前に亡くなってしまったのだが、音楽好きというかミュージックラバーというかミュージックフリークで、アメリカにいたときには毎日のようにお勧めの音楽を紹介してくれたし、僕が紹介した日本の音楽もよく聴いてくれていた。いい友人で、いい音楽仲間だった。亡くなる1年前くらいにも僕にお勧めの音楽をメッセージで送ってくれていた。亡くなったあとの彼の妹の話では、亡くなる前までいろんな人に音楽を勧めていたようだった。僕が彼と親しかったときと同じようにCD-Rを作って。愛すべき人物だった。
彼のことを投影すべきではないのかもそれないが、Pearl & The Oystersを聴くたびに彼のことを思い出す、そのこと自体はきっと悪いことではない。なんといってもPearl & The Oysters の音楽は素晴らしく、彼も好きなテイストだったはず。今だったらDiscordとかで一緒に音楽を聴けるのになぁとも思う。
昨夜から大雨で、昼過ぎまで雨が続いていた。日本シリーズは順延。朝、長崎県北部で線状降水帯が発生とあって心配になった。どうやら問題はなさそうだが、この時期に線状降水帯も怖い。
明日から佐世保だ。公園に行こうと思っていたが、地面がぬかるんで遊ぶのは難しいかもしれない。
2024/11/03
11時30頃福岡発。高速で行ったのだが、筑紫野で事故が発生していて太宰府ICあたり30分くらい渋滞にはまった。事故はそう大きなものではなさそうだったのはよかったが、久しぶりの渋滞はしんどく、佐世保に着いたときに疲れてしまった。14時頃佐世保に着き、昼食。子どもの頃から通っていた近所のカフェでホットサンドとパスタを食す。美味し。
その後実家に行き、しばらく娘を見守りながら母と話す。最近介護に移った祖父のことなど、話すことはたくさんある。娘はテンションがあがって、ずっとはしゃいでいた。
18時から日本シリーズを観る。結果は残念ながら大敗だった。早い回から逆転するのが現実的に厳しい点差となり、途中柳田がホームランを打ったものの、あとは負けを見届けるだけとなった。残念な結果にはなったが仕方がない、勝負はそのようなものだ。クライマックスシリーズのファーストステージから勝ち進んできたベイスターズは単純に強かったし、ホークスの打線はあまり調子がよくなく、投手陣も堪えることができなかった。来年はどうなるかはわからないが、来年か3年後かリベンジすればいい。これで今シーズンの野球は終わり。そう、終わってしまった。
父が当たり前のようにYouTubeを観るようになっていた。AIが解説するようなもの。耳当たりが悪い。大谷翔平関連の動画を観るのが好きらしく、立て続けに5本くらい観ていた。
運転で疲れてしまい、23時頃に早いうちに就寝。