1階内観_高画質

デザインという病

表紙の写真は僕が描いたものだ。

本業はデザインをやる大学生の僕は、日々あらゆる物事について考えている。と、いうと大げさになってしまうのだが、まぁようするに色々なものを見て、毎日いろんなことを感じていますよぐらいの意味である。

ところがこのデザインというのは仕事や才能というより、精神疾患に近い。一度気になり始めるとスイッチをオフにすることができない。起きている間は常にデザインのことを考えているというのも過言ではない。これは特に僕がグラフィックデザインに長けていて、なおかつ世の中にグラフィックデザインは必要不可欠だからなのだろう。グラフィックデザインとはポスターやチラシ、多くの書類もまぁグラフィックデザインの範疇だ。綺麗な図や、パワポの発表資料、文字組から空間構成、レイアウト、全てにいたるまでグラフィックデザインの範疇だと僕は思うので、世の中のデザインリテラシーをあげるとするとグラフィックデザインを重点的に教えるべきだと思う。絵はかけなくても困らないが、伝わりにくい資料しか作れないのは致命的だ。大学3年間の間で絵をかけなくて困ったのはせいぜい1年の夏休みの宿題である100枚スケッチぐらいだ。もちろん大学により差があって、美大で絵をかけないというのは問題だ。だがしかし僕はデザイン系に通っている。デザイン系というのは絵の上手さが絶対ではないのだ。

ではなぜ精神疾患なのか。それは常にスイッチがオフにできないからなのだが、一体どういうことだろうか。

例えばなんでもいい、あなたの所属でも環境でも、持ってるものでも、なんでもいいが、比較的最近手に入れたもののことを考える。僕は自分の大学の名前のことを考えている。自分がそこに所属した時、あるいは所属しようと思った時から、世の中にその情報を溢れていることを知った。大学の名前を外で見て、聞き覚え、新聞に見つける。今までと違ったのは情報の量ではなく、それに対する注意である。そこに意識が向くようになったから、今まで気づけなかったものに気づくようになった。うまくは説明できないのだが、誰でもそういう経験はあるだろう。

グラフィックデザインをできるようになると、今まで目につかなかった全てのデザインが目につくようになる。デザインせずにはいられない。僕はもう四六時中ポスターと資料のことを考えずにはいられない。目に入った全てのものをものをデザインしたくなる。これはもう病であり、精神疾患だ。

僕はデザインという学問を、仕事を、人にオススメしない。少なくとも周りの人にオススメすることはないし、何かあったら僕を頼ってくれと言う。これは僕が頼まれたいというのではなく、努力や経験がものをいう世界でセンスもどうやらう必要なようだ。加えて常に気にしてしまう精神疾患を追うと、非常に生きづらい。生きづらくなってしまうから、デザインをやろうとは言わない。きになるならきになるところだけ教えるから、あとは頼りなさい。そう思っている。

デザイン科に来れば誰でも患うわけではないが、デザイン科というのは努力なしにはやっていけない世界だ。だからこれからも僕は努力をし続けなくてはならないだろう。

デザインという病に、より強く関わっていくことになるのだ。

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