君とか

僕には名前がある。
といっても二つ名でも通り名でもなく、親がつけてくれた名前である。

本名。

世の中には名前を呼ばれるのが好きな人嫌いな人がいて、僕は呼ばれるのが嫌いである。
これは中高の間に恋愛心理学とかその手のサブカル的な本を読んだのがすべての原因だ。
そこにかいてあったことには、親しくなるために名前を呼べ、というのがある。名字は公で名前は私、名字はパブリックスで名前はプライベート。知らない人に名前をいきなり呼ばれると嫌悪感を感じる人が多いのはそのためだ。本来名前を呼ぶのは親しい仲なのだ。

だから僕は名前を呼ばれることが苦手だ。名前を呼ばれることは親しさを覚えてしまう。でも僕はあんまり入ってきてほしくない。親しくなりたいというアピールをされるのが苦手である。親しい人になるのにもう少し手順を踏んでくれ。
だがしかし僕は名前を呼ぶのが好きだ。女の子の名前は呼びたい部類だ。効果的なタイミングで耳元で囁いてやりたい。それでなくても、名前を呼ぶというのは親しいと思うので、だから名前を呼ぶのがすごく好き。人にされたくないことをしたがってるんだよ、僕は。

ではなんて呼ばれるのが好きか。まず好きなのはくろ、と呼ばれること。これはハンドルネームから来てるが、く という音が好きである。そして、ろ と来るのが更にいい。僕の好きな2音が連なっている。 くろくん とか くろ とか くろちゃん とか言われるのが好きだ。特に親しい人に くろ って呼ばれるのはかなりのものだ。 くの他には しゃしゅしょ という し+拗音の組み合わせが好きである。くしゃくしゃ という擬音語は実に好きだ。くしゃくしゃ。くしゅん。くしゅん。

閑話休題

他に、といえば 君という呼ばれかたは好きだ。付き合ってる女の子に 君 っていきなり言われたらぞくぞくしそうだ。何故だろうか。
君という単語は単語としての固有性を持たない。しかし固有性をもたないが、誰か特定の個人のことを指し示している。目の前にいる人か、話している人か、まぁなんだかわからないけれど、固有の関係性を示唆しないのに、誰のことか特定できるという近い関係が好きなのかもしれない。関係の近さを浮き彫りにしてくれる。

あとは、あなた。これもそう。これも関係性を示唆しないのに、特定できる単語だ。この親しさが好きなのかもしれない。呼ぶ方も好きである。普段は君やあなたといい、特定のタイミングで本名をささやく。そういうのがとてもよい。

そんなこんなで名前を呼ばれることをあまり許容できない20年を過ごし、主に名字で呼ばれることを好む。名前を呼んでほしい、と思う人に出会えたら、と思う。いつかそんな人に会えたら、と思う夜だった。

恋人には名前で呼ばれる、未だに気恥かしい。

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