撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ

生憎だが僕はあの有名なアニメを見たことがない、だから、名台詞として知っているだけだ。
ただ、この言葉にはもっと、考える価値があると思う。
この言葉は某作が初出と思われがちだが、元ネタはレイモンド・チャンドラーの作品である『大いなる眠り』から来ている。
ちなみにだが僕はこの作品も読んだことがない。
だから本当に台詞としてしか知らない言葉だ。

この言葉をどう解釈するかは自由だが、僕には、作品に一度も触れてない僕にはコンテクストがわからず、本来使われていたものとは違うだろう。その辺は許してほしい。その上で僕はこう解釈する。

「なにか強い力を人に向けるなら、自分もその力を向けられることを覚悟しろ」
「なにかをするなら、自分もされると思え」
「何かをされたくないなら、するな」

という意味合いだと考える。
僕はどちらかといえば「自分がされたくないことをするな」というより、もっと攻撃的で「覚悟がないなら口にするな」ぐらいの意味に解釈したい気分だ。
覚悟ないなら口にするな。
自分が大事なら関わるな。
保身をするな共に死ね。

自分が大事だと思うなら、傷つくことを恐れるなら、近寄らないで。
保身と自己中で生きていけばいい。

戦争と一緒だ。自分が傷つきたくないなら仕掛けないことだ。その手段を持ってしまったものには、その手段か、あるいは更に致命的な手段を使わざるを得ない。
嘘つきは、常に自分が嘘をつれていると思って生きていくのかもしれない。

逆もそう。傷つけるということは、自分を傷つけられる覚悟があるということ。
たぶん僕は傷つくのを恐れていて、せめて、自分に傷つけられてくれる人に傷つけられたいのだろう。
保身をされては、信用できない。
信用するなら肉を切らせて。そうしたら骨を断たせてあげるから。

こういうのなんていうんだっけ、ちょっと違うけどハリネズミのジレンマかな。ハリネズミかわいいよね、ちくちく。

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