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㊹友達と交わした DM

僕の友達、タカちゃんのもう一人のマイミク「Aさん」と、ここ最近DMを何度か交わしています。

Aさんは、友達が恐らく、“mixi でのこれまでのやり取りを削除しているだろう…誰か分からないけれど現在友達のアカウントを動かしている人も、そのため成り行きが分からないのであろう” ということを言っていました(だから友達のアカウントは何の反応も示さないのだ ── と言いたいのだと思います)。

今まで自分はどちらかと言うと、その可能性については考えてきませんでした。けれど、これまでAさんから聞いてきた話や、Twitterで実際に友達が自分の発言を削除している痕跡を見るに付け、確かにそういうことは有り得ることだと思いました。特にDMの中に、「ゲイ」という言葉が出てきたり、彼に教えた僕の住所が書かれていたり…ということがありますから、用心深い友達はDMの内容をまるまる削除してしまった…という可能性は無くはないように思えました。

ところが、彼の mixi の「呟き」 (短文の投稿。Twitterのツイートのようなもの) は、今でも削除されていなくてちゃんと読めるんですよね。このmixiの呟きというのは、発信した本人以外は一ヶ月間しか見られない仕様になっているのですが、その呟きのURLさえ分かっていれば、そのアドレスを直接打ち込むことで、過去の呟きを見られるようになっています。

僕は友達とのやり取りを全てスクリーンショットで撮っていたので、友達の呟きの発信時間も分かりましたし、それさえ分かっていれば そこからURLを割り出すことはそんなに手間が掛かることではありません。

何年ぶりかで友達の呟きが目の前に現れた時、何かタイムカプセルで過去に戻ったかのような感激がありました。僕が書き込んだコメントもちゃんとそこに残っていました。

ただ、その時に “再会” を果たした、2021年5月10日の呟きは、友達の消息が分からなくなる前の、再入院を目前にした最後の発信でしたから、削除しようにも時間的に出来なかった可能性はあります。

友達が2021年に僕宛てに発信した「呟き」はたった二つ。もう一つの『寅さん映画』に関する彼の呟きが残っています。こちらのURLもどうにか突き止めて、今日 (2月1日) そのページを開くことができました。今度もやっぱり感激でした。友達は削除なんてしていなくて、僕とのやり取りを残していてくれたんだ!!!

……とは言うものの、この「呟き」はそんなに重たい内容のものではないですし、削除するには及ばない…という判断があったのかもしれず、DMについては本当の所どうなのか分かりません。

でも彼と交わしたDMのやり取りは、友達から見てもとても思い出の詰まったものではなかったか……そんな風に思えますので、僕としては削除はされていないものと思いたい気持ちがあります。


友達は自分が亡くなったあとに、幼かった頃の友達へお別れの手紙が届くように準備してある…と言っていました。

であるならば、彼が特別な気持ちで応援をしていた噺家さんへも、なにかメッセージを用意していたのではないか…そんな風に想像するのはおかしいでしょうか…

メールのやり取りまでする間柄であった噺家さんに、何の連絡も行かない…ということは有るのだろうか…。友達が生きているものと思って、友達宅へいつまでも高座の案内や年賀状を送り続けさせる…ということを、友達は良しとするだろうか…。なんとなく、そういうことを思ってしまいます。

この噺家さんの元へ、友達の家から郵便物が戻ってくるようなことは起きていない……ということは、友達は今も生きていることの証明なのではないか…。実際の所は分かりませんが、僕にはなんとなくそんな風に思えてくるのです。



※ 友達のことをなるべく沢山覚えておきたい気持ちがあります。

今日先ほど、ふと友達が電話で言っていたことを思い出しました。

何度か電話での会話を重ねた時のこと、彼が「私の電話、ウザったくないですか??   もし鬱陶しくなってきたら言ってくださいね」って言ったことがありました。僕は「今の所は大丈夫」なんて応えを返しました。僅かなことでも、ちょっと忘れかけていた友達の発していた言葉を思い出すことは嬉しいことだな…と思いました。


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