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読み返したい本 (『名人』繋がり・・・)

昨日、川端康成の『名人』を読み終わり、続けて読みたい本が出てきた。

山本周五郎の短編小説「鼓くらべ」。確か小学生の頃の、高学年時の教科書に載っていたように記憶している。

粗筋をネット検索でちょっと盗み見した。

些か高慢ながら鼓の上手な娘が、或る日、旅の老絵師と知り合う。「すべて芸術は人の心を楽しませ、清くし、高めるために役立つべきもので、そのために誰かを負かそうとしたり、人を押しのけて自分だけの欲を満足させたりする道具にすべきではない。鼓を打つにも、絵を描くにも、清浄な温かい心がない限り、なんの値打ちもない」。そう諭された娘は、“鼓くらべ” ・・・ 今風に言えば鼓のコンテストの最中、老絵師の言葉の意味を理解し、途中で演奏を取り止め、鼓の技を競う場から下りる・・・・・・

・・・・・・というような内容だ。ただ単に “名人” というキーワードが共通するだけかもしれないが、むかし親しんだこの小説が連想されて懐かしくなった。

当時この作品に感銘を受けて、山本周五郎の他の作品も読んでみようと気負い立ったものの、どうも他の作品には馴染めず、挫折した覚えがある。その頃の自分には難しい内容だったのかもしれない。

しかし、よくもあのような質の良い作品を当時の教科書は載せてくれていたものよなぁ…と思う (今の教科書のことは何も知りませんが…) 。


“教科書” という繋がりで、もう一人思い出す作家がいる。自分の通っていた高校は定時制も存在していて、或る日自分の机の中に、定時制の学生が使っている見慣れない国語の教科書が入っていた (昼間の学生とは違う教科書を使っている…ということを知って結構驚いた) 。

何気なくその教科書を開いて目に止まったのが、小川国夫という人の「夜の水泳」という短編小説だった (小川国夫の作品には “小説” という言葉は似つかわしくない気がするのだが、他に言いようが無い) 。

夜の海に泳ぎに来た二人の男子学生の、ちょっと取り留めのない感じのやり取りを描いただけの大変短い作品だが、とても心に残った。

正直に言えば、下に引用した文章が自分にはスリリングで甘美な感じを受けたのだと思う。

房雄は静かな海を泳いでいた。松林にアセチレンの灯がついた。哲夫が来たらしかった。(略) 房雄が浜へ上がり、松林へ近づいて行くと、灯に照らし出されて哲夫が座っていた。(略) 哲夫は両足を揃えていて、足先にランプが置いてあったので、彼は全ての影を従えているようだった。(略)

房雄はタオルを拾って、体をこすりながら、
── 寒い、といった。
── 火が欲しいか、と哲夫がいった。
── いいよ、君のズボンを貸してくれ。
哲夫が立ち上がって、長いズボンを脱いだ。房雄がそれをはくと中に哲夫の体温が残っていて気持よかった。

この「夜の水泳」は『流域』という短編集に収録されていることが分かったので、早速それを買った。1978年9月発行の集英社文庫。既にその時点で四年ほど前の本。あまり売れていなかったのかもしれない。

「夜の水泳」の他にも、「心臓」「酷愛」といった印象的な作品があった。それまで読んできた普通の小説とは明らかに違う。とても鋭利で、鮮烈な印象だった。

この作品集の中で、一つだけ異質な作品があった。「蛇王」(原題:秘曲) という題名で、笛の名手のことが描かれた時代物の小説・・・だったと思う。もう長い年月読んでいないのでシカとは覚えていないのだが、とても良い作品だった・・・という記憶が残っている。元々は昭和49年、旺文社の「高一時代」に掲載された作品だそうで、この小説だけ異質に感じられたのは掲載誌の違いから来ているのかもしれない。

これも「鼓くらべ」と同じく、もう一度読んでみたい。「名人」「鼓くらべ」「蛇王」・・・ なんとなく筋が通っている気がする。


小川国夫は一時期、何冊か本を買っていた。『アポロンの島』という有名な作品集があるが、これは『流域』とは違ってギリシャ神話的・・・とでも言ったら良いか、異国を舞台にした作品を柱に据えた魅力的な短編集だ。

これは昔、新潮文庫版で持っていたのだが、いつの頃か手放してしまって、割に最近、講談社文芸文庫版で買い直した。「東海のほとり」という、『流域』に収録されていても違和感の無い作品も含まれている。小川国夫の作品には、たまに同性愛的傾向のあるものが見受けられて、それは作者にとってどんな意味があったのだろう・・・という気持ちが湧き出てくる。

2018年に、没後十年の展示があったそう。その時の図録だけ持っています。『流域』どこかで新たに文庫化してほしい。



今日で、この note の記事を書き始めてから丁度一年です。

元々、 mixi で知り合った友達のことを書き残しておきたくて始めました。

彼のアカウントからは今も「足あと」が付きます。今朝も三日ぶりにありました (今回も相変わらず、友達のアカウントとごく一瞬だけマイミクだった謎のアカウントと同時刻のログアウトです) 。

先日、「お兄様はどうしていらっしゃるのですか ──」という呟きを思い切って書きました。その応えは何もありません。

どうしたって本人とは思えないログイン。どういう意図のある「足あと」なのでしょう ── 。

考えてみれば、意味不明な「足あと」以外、特別悪いことは何も起きていません。このログインが友達の弟さんによるものであるなら、友達以上に “秘密主義” な所のある人なのか・・・。

いつか本当のことが解ると良いな…と思っています。



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