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今の自分

今度、自分の主催で或るイベントを開くことになった。ここ最近はその準備に追われている。

準備をするのは楽しい。生活にも張りが出た。地域イベントなので、地元の人に沢山参加してもらえると嬉しいのだが、高齢化で中々難しい。近隣の方々の協力で、なんとか開催を決定することができた。これもきっと、良い体験になると思う。

イベントの準備に力を入れていて、ずっとこの note に書き続けてきた友達のことを深刻に考えることが少なくなってきている。だが本当に、考えれば考えるほど、いま友達の mixi のアカウントに入って「足あと」を残してくれている人の真意が分からない。直近では「足あと」が昨晩あった。一体何なのだろうか・・・。過去に書いてきたことの繰り返しになるが、やはり昨年1月下旬に友達の Twitter アカウントのフォローが整理されていたことと、同じく昨年の3月頃に携帯電話の回線が解約されていたことはかなり大きなことだと思う。

友達と三年前に電話で会話をした時、住んでいる家は「持ち家だ」と彼は言っていた。彼が贔屓にしていた噺家さんからの郵便物が変わらず現在も友達宅に届いているのなら、その家には弟さんが住んでいるのだろうか…。本当に解らないことだらけだ。

友達が贔屓にしていた噺家さんの高座、2月に行くつもりが体調が酷く悪く、駆けつけることができなかった。4月に場所・時間とも自分向きな高座があるので、それには行きたい。


少し前の記事に、「料理を始めてみたい」と書いた。目星を付けていた初心者向きの料理本 (二冊) 、紀伊国屋書店のサイトから注文をして明日届くらしい(近頃は紀伊国屋のサイトを利用することが多い)。とても楽しみだ。色々作れると良いな。

料理本と共に、山田洋次監督の映画『小さいおうち』の原作本も同時に注文した。これも以前記事に書いたが、『小さいおうち』は友達の大好きな映画であり、自分にとっても友達との思い出に繋がる、凄く意味のある作品となった。映画と比べて原作はどんなであるのか、これも楽しみにしている。


最近、友達が最後に mixi からメッセージをくれた、三年前の5月10日のことを考えることがある。その日の夜遅く、友達は僕にお別れのメッセージをくれた (mixiの「呟き」の形で…) 。前日話していた明るい見通しとは180度違う、突然の幕切れ。そこには有無を言わさぬ、決然とした別れの言葉があった。そのメッセージに気が付いてすぐに返信をし、直接電話もした。けれど返事はないし、携帯電話は電源が切られていた。その時の友達の心を思うと、堪らない気持ちになる。僕からの問い掛けがあることを彼は予期しただろう。だけど、一人で彼は運命に向かっていったのだろうな…そう思う。

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