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小曽根真 60TH BIRTHDAY SOLO OZONE 60 CLASSIC×JAZZ レポ

※記憶力もない上にメモも殆ど取らず、MCなど抜けたり順序が前後してしまっていますがお許し下さい🙏音楽知識はありません。
セットリストは会場ホームページ発表を参考に書いております。

シルバーのシャツを身に纏った小曽根さんが颯爽と現れる。
たくさんの拍手で迎えられる。  
ピアノに手を添え、深々とお辞儀をする。

さあいよいよ音楽の時間の始まりだ。

椅子に座って弾き出したのは
「Gotta Be Happy」。
ちょっとバラード調でしっとりした入りから、次のフレーズではガラッとジャジーでノリのよい曲調になる。娘も「大好き」と語るこの曲。
CDで聴いてた時よりも音の粒がよく聴こえ、またそれが揃っていて耳に体にとても心地よい。
否が応でもリズムに乗りたくなってくる。

ああ、やっぱり生の音って全然違う!!

最初の曲が終わって、小曽根さんがマイクを手にする。「今日は本当にたくさんの方が来て下さって…」と観客席を見渡す。
途中から着席した方達に「あ、どうもこんばんは。どうぞどうぞ。あー、たった今1番いい演奏が終わってしまったんですー……ってそんなことないですよー笑」と関西のノリ。
一気に会場があたたかい空気に包まれる。
そして彼は言った「只今世界が大変な状況にありますが、今日は楽しんで貰って、そのパワーを地球の裏側に届けたいと思っています。ですので、今日は思いっきり皆さん楽しんでいってください」。この一言で、小曽根さんのお人柄が伺える。
冒頭でもうぎゅっと心を掴まれてしまった。

「僕が13歳で地元神戸のジャズバーに足を踏み入れてピアノを弾いた時のイメージで作った曲です」とのMCがあって始まったのは「Struttin' in Kitano」。ディキシーランドジャズを掛け合わせたと彼の言葉にもあったように、クラシカルでコミカルなノリがかっこよい。間合いに小曽根さんの指ならしも入る。その時見たであろう大人の世界の光景や、当時の小曽根少年のちょっとドキドキするような心境が表れているように聴こえた。
もう既に席にじっと座っているのが窮屈に思えてくる。
もっと、リズムに乗りたい。

続いて「Sometimes」。カーペンターズの曲を小曽根さんがアレンジ。滑らかで綺麗な曲調に心も癒されて行く。
何と言うか、小曽根さんの演奏を聴いていると、ピアノが減音楽器ということを忘れてしまう。それくらい音が同じ幅音でスッと伸びていく。
最後の最後の1音がぽんと鳴らされてやっと消えるまで、お客さんが耳を澄ます。
完全に音が消えてから入れ替わるように拍手が鳴った。

ここで小曽根さんが若干動きの少ない観客席に向かってちょっと不安げに「楽しんでます?」と声を掛けた。福井のお客さんは正直感情を表に表すのはあんまり得意じゃないと思う。でも楽しんでいない事は絶対ない。緩みのない、静かな一体感のある客席の空気がそれを物語っていた。

続いて「Puzzle」。ピアノの旋律の後ろに隠れたカッコいいリズムを探しては自分が乗る。それがめちゃくちゃ楽しい。
拍がどんどん変わってそれに体も付いていく。どこに行くのか分からないとご自身も例えていたが、そのワクワク感たるや。
気付くと隣の娘が足でリズムを鳴らし出したのでさすがに止めたが、「うんうん合ってるよ」と心では思っていた。私も正直大人しく座っていたくなんかなかった。

「Departure」。出発という前向きなタイトルであるがマイナー調の曲に、旅立ちの時の不安な心境が表されているのだろう。
ひたすら続く不安定な旋律に私も入り込んで身を任せた。
※実はこの時横を見ると、娘が寝てしまっていた。(学校帰りで疲れていた彼女のペース配分を私が間違えてしまい、大変申し訳ないことをした。しかし無理に起こすのもかわいそうだったのでそのまま眠らせておいた。)

ここまで聴いていても当たり前なのかも知れないがとにかく気を抜いているシーンがない。
演奏中、天を仰いだり、客席を見ながら指はひたすら動いている。演奏に乱れはない。
凄い集中力だ。
ど素人ではあるが、やはりそこに気が籠っているかどうかは感じれていると思っている。
だからこそこちらも終始気を抜くことなく想像以上に音に集中し続けられた。

そしてひとつの山場を迎えた。「Prokofiev Piano sonata No.7 3rd movent」。
ビート感の強い曲に思わず前傾姿勢で耳を澄ませる。小休止もない動き続ける手にこちらも熱くなってくる。小曽根さんの腕にもどんどん力が入り、この日1番の力強いタッチで音が鳴った。もうそれはロックだった。
めちゃくちゃカッコよかった。
規制さえなければきっと「bravo!!」の声が飛び交っていたと思う。
代わりに割れんばかりの拍手が会場を埋め尽くした。
弾き終わった小曽根さんは深々とお辞儀をし、背を向けてから、両手首をブラブラふって「疲れたー」のアクション。そこに逆に余裕も感じられて、また客席の空気がほころんだ。

休憩を挟んで、次は真っ赤なシャツに身を包んで小曽根さんが現れた。とってもよく似合っていて素敵だ。
赤いシャツが似合うのはそれだけオーラがないといかんなと思った。

プログラムにはセットリストもなく、CDでの予習もままならなかったため、曲名がわからないままコンサートに挑んでいるが、次の曲は聴いていてラヴェルだと分かった。「Piano Concert in G major, 2nd movement」。キラキラの音階が絶妙に重なりあって心地よく広がって行く。しかも大きすぎず、かといって弱すぎもしないで全ての音が一定に鳴らされていく。とてつもなく心地よすぎて感動でずっとそのパートが耳に残り続けた。

「コロナ禍で公演が中止となり出歩く機会が減ってしまった。それで、歩く曲を作ろうと。」ブルース色でありながら親しみやすい曲「Need to  walk 」。ユーモラスな間合いで観客席を煽る。まるでセッションをしてるようだった。いや寧ろセッションだった。もうこんなの楽しいしかない。無音とセッション。音楽の神様と小曽根さんしか出来ないんじゃないかと思った。

前半からそうだったのだが、小曽根さんのピアノが半音階を奏でる度、自然と頬が緩んでしまう。ああ、やっぱりジャズの人なのだなと思う。そう、小曽根さんのこの音が聴きたかったのだ!と私の中の私が興奮してる感じ。
もう本当に自分でもずっとにまにましているのが分かった。

「本当は弾くつもりなかったんですけど」そういって弾き始めたのは先日小曽根さんのTwitterでも紹介されていた、ウクライナの子守唄「Oi khodyt son kolo  Vikon(夢は窓辺を過ぎて)」。
以前ツアーで一緒になった方から教えて貰った曲だそう。
小曽根さんも仰っていたが、子守唄はそう、何故か日本のものも物悲しいメロディーだったりする。戦禍にあるウクライナの家族の取材を思い出す。普段は爆撃の襲来に怯え、夜は地下の部屋でベッドなどないところで眠る。私が隣に座る娘とこうして音楽を聴きに来れている事も世界規模で見れば本当に奇跡なのだ。。
小曽根さんの祈る気持ちと、また物悲しいメロディーに優しさも感じながら柔らかい音に耳を傾けた。

あたたかい拍手が終わると、静寂の中に小曽根さんの拍手の音が鳴る。「O'berek」。
脚で床を鳴らし、声の効果音も加わる。
民族音楽のような、地に根を生やしていくかのような曲調にぞくっとする。左の低音がリズミカルに音を刻み、右手の旋律を支える。
娘も明らかにこの曲に入り込んでいた。
(後に検索して知ったが、こちらはポーランドのダンス曲を元に作られたものだそう)
曲のクライマックスでは、アドレナリン全開の彼の演奏姿に心が痺れた。長年、世界中を周り、色んな音楽と出会い、たくさんのものを見聞きされてきた方の、渾身の音は凄みが違った。
ただパワーをずっと押し出すのではなく、焦点を定めて、そこに一気に魂を込めるような感じだ。
最後の音が鳴り止まないくらいのタイミングで拍手が飛んだ。
私も手が痛くなるくらい拍手を送った。

立ち上がった小曽根さんが各観客席に丁寧にお辞儀をする。
たっぷり2時間、精神を緩めることなく、ピアノを引き続けて下さった。なのに。

まだまだ聴きたい。

正直な気持ちだった。

舞台袖に下がると、パイプオルガンが埋め込まれている、ステージ上の方に、スタッフの方々がメッセージ幕を掲げた。
小曽根さんの60歳のラストと、誕生日をお祝いするメッセージだった。

鳴り続ける拍手に小曽根さんは戻ってきてくれた。幕に気付いて、グランドピアノの蓋部分を下ろし、スマートフォンを出して、写真を撮った。また観客席をバックにも写真を撮って下さったようだ。

ピアノの蓋をまた開けて、椅子に座った。
鳴り出したのはまさかの「ラフマニノフ ピアノ協奏曲 2番」のあの冒頭部分だった。
私は思わず「わぁー」と声にならない声を発した。が、「あっ、これ弾いちゃうと、ロシア2曲になっちゃうんで…」と弾き始めたのは「For Someone」。「皆さんのために弾きます」と仰った通り、全体に音が行き渡るように弾いておられたと思う。この曲には「共存」という思いが込められていると言う。
お互いを知り、お互いを認め合って、共に生きる。小曽根さんが願いを込めるとまたその重みが増す。
誰も咳払いひとつなく、ピアノの音だけが響き渡る。
最後の音が消えた時、また割れんばかりの拍手が起こった。

そして2度目のアンコール。
出てきた時にこう仰ってくださった。「アメリカに針が落ちた音が聴こえるという表現がありますが、今日は正しくそれです。ホールの響きの良さもありますが、皆さんが息をのんで音に集中してくれる。だからこの小さい音も後ろの方まで届くんです」
福井の人達の、言うなればどう表現していいか分からない薄めのリアクションを、けれど真面目に音を聴く私達に賛辞を送って下さった。
そして本当にラストの曲「REBORN」。
この曲の時だ。
実は私達の前の席がひとつ空席で、私達から小曽根さんがよく見えた。また高さも小曽根さんが客席を向いた時にちょうど目線が合う位置にあったと思う。公演が始まった時からそれは思っていたが、コンタクトの度が緩くて、実際の目線が何処かは全くわからない。
しかし、このときは目が合っているのじゃないかと、まるで私達の為にワンフレーズ弾いてくださってる…!と思った。眼鏡を実は持っていたが、敢えてそのままにした。
勘違いでいいから、その方が幸せだと思ったからだ。
そして断っておくが、小曽根さんは演奏しながら幾度となく客席に顔を向けられ、一緒にその世界へ連れていってくれる。
更に最後のこの曲の時は中央のお客さんが応援幕のようなものを掲げられ、それに応える一幕もあり、とにかくサービス精神に溢れていた時間だった。
最後の力を込めて、彼のピアノが鳴る。
小曽根さんの真骨頂を観せていただいた気がした。

何度も各観客席に深くお礼を告げて、彼は舞台を去っていった。

圧巻だった。

ご自身も仰っていたが、今回はご時世柄、メッセージ性の強い曲が多かった。
世界を見てきた小曽根さんの心からの祈りと願いがひしひしと伝わるライヴだった。

小曽根さんはご存知だ。音楽でどれだけの事が出来るかは分からない事を。。
でも少しでもその祈りを形に出来たらと、来月ヨーロッパで、難民の方を集めて演奏会を開くそうだ。
音楽はボーダレスという最強の武器を持って。
誰かの心を救い、癒し、笑顔にする。
綺麗事でなく、故郷を思い出させてくれたり、力を奮い立たせてくれたり、優しく慰めてくれたり。。言葉だけでは出来ないことを、音楽なら可能にしてくれる。

どうか小曽根さんご自身がまずご無事で、これからも益々パワフルに、各国を飛び回られることを願って止まない。
そして、小曽根さんの言葉をお借りすれば一瞬でも早く、戦争が終わることをひたすら願い続けたい。

余談だが、本気の音楽は、本物がまだ分からないであろう娘にも届いたようだ。
始まる前は違うところへ遊びに行きたいと言っていた彼女が、「楽しかった!また行きたい!」と笑顔で言ってくれた。
CDを流すと踊ったり、エアピアノを弾いて楽しそうにしてくれる。
(下の弟は何と、60シリーズのSTANDARDSがお気に入り!)

振り返れば振り返る程、彼の演奏が凄かったことが思い出される。
長い時間、最初の1音から、最後の1音まで、最高の演奏をして下さった小曽根さんに、心からありがとうございましたとお伝えしたい。