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「意見が違う=敵」だと思う思考はいかがなものかと思うわけです

「人の数だけ意見がある」という言葉があるように、自分と同じ意見を持つ人もいれば、自分と違う意見を持つ人もいます。

人は違って当たり前ですし、個性を尊重し合うことが大切だと僕は思うわけです。

しかし実際の人間関係では、そんな綺麗事など通じません。

凝り固まった価値観、決めつけや偏見、同調圧力など、様々な要因によって敵・味方を作り、多くの人は安全な居場所を確保して、自分の身を守ります。

特に協調性を重んじる日本人は、異なった意見を言う人のことを敵だとみなし、仲間はずれにしたり距離を置いたりします。

でもそれってどうなの?と私は思うわけです。

反対の意見(人と違う事をすると)を言うと「頭のおかしいやつ」にされる

本来、人間がみんな違うのは当然です。正解がない議論で反対の意見を言うことは決して間違いではありません。

しかし意見の違う人を目の前にすると「こいつとは分かり合えない」と相手の意見を尊重することをしません。

これって本当につまらない思考だなと思うわけです。

「考え方が違うよね、だからあいつとは話さない」とか「距離を置く」とか僕は考えられないんです。

さらにこれが集団になると「みんな同じ考え、同じ価値観、同じ行動」というのが前提になっているので、違うことをすると「あいつは頭のおかしいやつ、空気の読めないやつ」と認定されて、仲間外れにされます。

このことは特に学校でよく見られる現象だと思います。

弱い者ほど群れる

弱い人間は、同じ価値観の人と群れて自分の身を守ります。

まあこれは間違いではないですよ。群れることで新しいコミュニティが生まれ、人との繋がりが生まれますから。ある意味人間らしいと言ったら人間らしい行動です。

しかしですね、集団になると自由を失います。

周りから嫌われないように接したり、同じ意見に合わせたり、自分を押し殺して集団の中で忖度して動くことになります。

なぜなら仲間外れにされたり、嫌われたくないから。

最終的には自分の存在意義を見失います。

集団に依存したばかりに自分を押し殺して生きていくことになります。

弱い者の特徴かもしれません。

意見が違ってもいい、何でも言い合える友人を一人でも多く作るべき

私の数少ない友人は皆、各々意見をしっかりと持っています。そして会話は毎回バトルのようなディスカッションになってしまいます。

全く違う考えだったり、意見が合わなくても互いに自分の主張を曲げません。だからと言って相手の意見を真っ向否定するわけでもなく、しっかりと尊重した上で、自分の主張を述べます。

それがお互いにとって心地良い時間になっています。

私的には、同じ価値観や同じ意見を持つ友人で身を固めるのはナンセンスだと思っています。

もちろんそれはそれで安心感はありますが、刺激にならないんです。つまらないというか。

個人的には友人と意見が対立することって楽しいですし、何より学びになるんですよね。それは相手も同じことを思っているので、お互い自己表現のオンパレードになります。(笑)

意見の対立によって相手を敵だと認識する人は器の小さい人だと思っています。

人間考えが違って当たり前ですし、相手の意見を間違いだと認識するのはアウトです。(正解のあることで相手が間違いを言ってる時は別ですよ)

ありのまま自己表現をし、相手の意見も尊重して受け入れることが大切だと思っています。

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