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おうちでできるモンテッソーリの子育て&モンテッソーリ教育を受けた子どもたち


季節が巡るように、いのちにも特別なリズムがあることを発見したマリア・モンテッソーリが確立した独自の教育は、子どもたちひとりひとりの成長に寄り添っている

息子が小学校一年生になったばかりのころ、個人面談で担任の先生から「龍村くんは宿題をしてこないのですが」と言われ、びっくりした。
「毎日、今日の宿題は何かな?聞いているのですが、息子は、宿題はないよ、と言うので、出してないのだと思っていました」
「あと、龍村くん、プールのあと、女の子の髪の毛をブラシで梳いてあげるんですけど、学校には学校に必要ないものは持ってきてはいけない、と伝えてあります。」
「えええ、すみません、知りませんでした。伝えます。」

息子に、聞いてみた。
「先生は、宿題は毎日出してますって、言ってたよ」
「それはみんなに向かって言っているけど、僕には言ってないよ」
「えええ、みんなに言ってるってことは、けいちゃんもみんなのなかに入っているんだよ」
「そうなの?先生はぼくの目を見て言ってないよ。ぼくに伝えたいことは僕の目の見て言うんじゃないの?」

「・・そだね。。。それから女の子の髪の毛を梳いてあげてるんだって?」
「プールのあと濡れてるから、手伝ってあげた」
「ブラシ、持って行っちゃいけないんだって」
「聞いた。なんでいけないのかわからないけど、次からはしないよ」

息子は、明らかに幼稚園との違いに戸惑っているようだった。
息子は、モンテッソーリの「こどもの家」に通っていた。

モンテッソーリの教育方針を知っていたわけではなかったけれど、毎日、新宿御苑に子供たちをお散歩に連れて行っている幼稚園があることに気づき、それが気に入ったので、入園を頼み込んだのは息子が3歳のときだった。ただ、その新宿御苑のこどもの家は、先生が高齢で、この夏で閉め、秋以降は転園することになるという。それでも良ければという条件だった。
入園させてみて驚いたことは、大人はすべて子供に合わせた生活をすることだった。それは私には何もかもが新鮮だった。お弁当の袋は、こどもがひとりで出し入れできるように、内側には滑りやすい裏地をつけ、ボタンホールは大きく作る。に始まり、子どもが何もかも自立してできるように、大人はただただ場を整え、準備をする。
生活すべてを子どもの目線で捉える。洋服をしまう場所、用具を置く場所。
子どもには、何かに強く興味をもち、集中して同じことを繰り返す時期があるという。モンテッソーリ教育で、「敏感期」と呼ばれるこの期間に子どもたちは、言葉や知性、自立、運動、互いの違いを理解し合うモラル、など人として生きてゆくための思いやりの土台をのびのびと培ってゆく。
大人は、子どもにただただ寄り添い続ける。子どもの行動が理解できると、気持ちにも余裕が生まれ、安心感とともに子育てを楽しむことができる。

子どもの家では、ひとりひとりが集中してやりたいことに集中できることを大切にしているので、みんな違うことに取り組んでいる。これが集団生活とは大きく異なるところだ。
息子はあるとき、どうぶつのお面づくりにはまり、朝からお帰りの時間までお面をつくり、お迎えのときにはそのお面をかぶって嬉しそうにでてくる、というのがしばらく続いた。毎日毎日、どうぶつのお面だけを作っているのだ。それに満足するとまた次の「おしごと」をみつける。
指あみにはまったときは、友達とずうと声を出して笑い合いながら指あみをしている。楽しくて楽しくてしょうがない、というエネルギーが伝わってくる。

息子が小学校に入って、初めての集団生活に戸惑ったのも、「子どもの家」でいのちを大切に大切に育んでもらいながら過ごさせていただいたからこそだった。
少しづつ息子も、集団生活になじんでいったが、「こどもの家」で培われた思いやりの心は失われることはなかった。

時間が経って、息子は28歳、娘は19歳。二人とも同じ「こどもの家」で育ててもらった。今では二人とも自分の道を歩み始めている。振り返ってみても、あの幼児期にモンテッソーリ教育に出会えたからこそ、彼らの今があると思える。
で、モンテッソーリへの感謝を込めて、いつか映画を作りたいと思って、客観的に理解するために、本を買ったのだけど、結局、映画を撮ることはしなかった。
子どもたちの一日一日はかけがえがない。そこにカメラを入れることに躊躇したから。敏感期の子どもの時間を奪いたくなかったから。その私の選択は、今でも結構気に入っている。


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