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母の話 ㊤

8年前に母は亡くなった。
今回は、母の死にまつわる説明できない不思議な話をまとめてみた。

彼女は統合失調症で、私は母親というものがどういうものか知らずにいまに至る。

★がん発覚前(冬)
その当時、超ブラック会社から転職したものの、転職先に馴染めず、また転職先を決めてきた矢先にリストラされた 笑。年末年始は長い休みになって、実家に帰ると父が私に向かって言う。「カカはもうダメらえ」。新潟弁。母にがん疑惑があって、数日後に一緒に大学病院に行き、病巣を見ることになった。胃がんだった。

私はその数週間前に不思議な夢を見ていた。

私の母は、父の両親とうまくいっていなかった。世に言う嫁姑問題。

私は3人兄妹の末っ子で、次兄より11年も遅くに生まれたので、家族の闇をわかっていなかった。長らく父の味方だったけど、今は母寄りの中立。私は母を憎めない。きっと今も苦しんでいる女性は多いだろう。

夢の中で私は、父の実家にいる。いまは長兄がリフォームして住んでいるけど、昔の昭和の家のまま。親戚連中が集まっていて、私は玄関にある母の靴を持って、母に向かって窓から逃げるように促した。ここにいてはいけない。逃げて。

★夏
余命わずかと言われる。

東京の家で寝ていると、天井に近い壁から母がうにょっと出てきた。ああ、最期の日が来たかと覚悟した。壁から出てきた母は、なんだか幸せそうに見えた。

★秋
亡くなった。当時の職場は、上司が辞める寸前で、上司が辞めた後に母が亡くなったら、ヤバいなあと思っていた。空気を読んでいる。新幹線で帰れない時間に亡くなったのも、空気を読んだのだと思う。母に気を遣われていたと思う。

★葬儀
通夜、葬儀とすぐに荼毘にふされるものだけど、葬儀場の関係で母は1週間近く家にいた。母がそうしたとしか思えない。葬儀場に移る前日、身体を洗って死装束に着替えさせるスタッフから「身体が崩れてしまうから洗えない」と言われる。生前、お風呂に入るのを面倒がっていた母らしいと思った。

身体はもうすっかり腐敗が進んでいた。葬儀の日は、母の目から体液が流れて泣いたあとのような線が残っていた。

★葬儀後
実家から母が出て行く夢を見た。私は大きな頭陀袋を母に渡した。「母さんごめん」「私のほうこそごめん」。空がとても青かった。

当時の職場に1週間忌引きで休ませてもらったお礼をしようと、東京に戻ると新潟の物産を取り扱っているお店に行った。

そこでソフトクリームを買って食べた。写真を撮って、Facebookにアップすると、「顔に見える」というコメントが付いた。

その写真をよく見ると、溶けかけたソフトクリームが人の横顔に見える。なんとなく、それが母に似てる気がする。

いまもiPhoneにデータを残してあるけど、久し振りに見たら前より濃くなっている気がしないでもない。

つづく!

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