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青い炎

高校2年生の時、父と長崎県に行ったことがある。

父が公務員で、家族を伴ってもいい慰安旅行ツアーみたいなものがあったそうで、応募者が多いからその年に初めて当選したとかなんとかそんな話だったと思う。

父は異常に方向音痴であることを自認していて、自分から外出をするタイプではなく、両親や兄たちと年齢の離れた私は、家族旅行をしたことがなかった。父は、そのことを気にしていたのだと思う。多分。苦手は苦手なりに、2人の息子とは家族旅行をしているのだから。

あとで恥ずかしかったと父から言われたことがある。

長崎なので、バスツアーで長崎原爆の話をバスガイドさんがするのを、私は寝ていた。

私は、このバスの中にいる大人たちが恥ずかしかった。私は小学生の時から、結構戦争体験談とか原爆の話とか、本で読んできていた。

私が小学生の頃はまだ、テレビも広島や長崎、終戦記念日は特別番組を組んでいた。日本テレビのズームイン朝で見た、3代目江戸家猫八さんが従軍し、原爆投下後の広島を歩いた話に目を逸らせなかった記憶がある。

子供ながらに、目を逸らしてはいけないことだと思っていた。

中高と成長するにしたがって、いつのまにか、テレビはその役割を放棄してしまっていた。

バスの中で私は大人たちに「偽善だ」とイラついていた。

ガイドさんは伝えなくてはと一生懸命だと思うけど、そこにいる聞いている人たちはこのとき一瞬で終わるのだ。一瞬、そうだよね、悲しいことがあったよねと思い出してそこで終わるのだ。

あの時、寝たふりをして本当に寝ていた私も恥ずかしいけど、イベントとして消化していた大人たちも恥ずかしい。その結果が、いまだ。

なんかふと思い出して83歳になる父は、あのときこんなことを考えていたと話す42歳になった娘に向かってどんな言葉を返すのか知りたくなった。

次に新潟に帰るとき、聞いてみよう。コロナよ、早くおちつけ。

オカルト好きの顔を出すけど、視える人が視ると爆心地は真っ白らしい。原爆がそういったものを消し飛ばすのか、鎮魂の祈りがそうさせているのかはわからないらしいけど、祈りがその地を白く清くするなら、祈りたい。

世界中、あらゆるところで悲しみは起きている。鎮魂を祈りたい。祈る。

偽善になるのはイヤだ。

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