白玉

2019年の年末に亡くなった父の最期までの色々を文章で残していきます。 まだ思い出すの…

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2019年の年末に亡くなった父の最期までの色々を文章で残していきます。 まだ思い出すのに辛いこともたくさんあるので更新はかなりゆっくりですが、情報を必要としている方に、書き綴っていく文章のどこか一部分だけでもお役に立てたらと思います。

マガジン

  • 末期癌。治療のこと。看取りのこと。

    末期癌の父が癌の宣告から旅立つまで、色々な出来事を家族側からの目線でまとめたいと思います。

最近の記事

【11】ケトン食療法の先生の診察(初回)

※初めての方はこちらからどうぞ 初回の診察。 予約時間から確か一時間半ほど待たされました。 父は待つのが嫌いな性格だったので、いつ「もう帰る!!」と言い出すかヒヤヒヤでしたが。 やっと診察室に通され、待ち時間が長い理由がよくわかりました。 先生の診察はとても長い。 多分、毎回診察に30分以上はかかっていたと思います。 食事指導を受けるというのもあるし、こちらの質問にもきちんと答えてくれていました。 初診で言われたことは、 ・3年経ったら卒業してもらう ・なぜ癌になっ

    • 【10】一回目の抗がん剤投与後の様子

      ※初めての方はこちらの記事からどうぞ 投与した抗がん剤は、オキサリプラチンとTS−1です。 オキサリプラチンは点滴で投与し、TS−1は錠剤を2週間継続して内服(朝晩だったかな)します。 初めての抗がん剤投与後は、食欲が落ちることも無く、吐き気が起きることも無く、気分も変化無いとのことでした。 ただ、指先など体の末端に、わずかに痺れのようなものを感じたようです。 ケトン食療法も平行して行うとのことだったので、食事には気を遣い、運動も行っていました。 朝晩の散歩や少しの筋ト

      • 【9】初めての抗がん剤

        ※初めての方はこちらの記事からどうぞ。 ※治療法については、今後書いていく記事も含め「あくまでうちの場合はこうだった」という結果を書き綴っていきます。その点だけ、ご了承の上お読みください。 第一回目の抗がん剤は、念のため入院して行うことになりました。 入院2日目に初めての抗がん剤を行いました。 その日は夕方にお見舞いに行き、体調の変化を聞いたところ、全く何も不調は感じないとのことでした。 食事も1日3食普通に食べて、吐き気も無く、痛みもないと言っていました。 強いて言う

        • 【8】父の担当医と会う

          ※初めての方はこちらからどうぞ ※治療法については、今後書いていく記事も含め「あくまでうちの場合はこうだった」という結果を書き綴っていきます。その点だけ、ご了承の上お読みください。 弟がケトン食療法について調べ、すぐに実行することになりました。その数日後、担当医から家族に抗がん剤についての説明がありました。 僕も弟も先生にお会いしたのは、その時点が初めてです。 第一印象「めっちゃ頭固そう。。。」 まずは、父の現在の状態について説明を受けました。 原発巣は、胃のちょうど出

        【11】ケトン食療法の先生の診察(初回)

        マガジン

        • 末期癌。治療のこと。看取りのこと。
          12本

        記事

          色々な治療法について【余談その1】

          父が末期癌だと知った時、ショックは大きかったけれども 「くよくよして動かない時間がもったいない!出来うる限りの事を全力でやろう!」と思いました。 いろんな本を読んで、いろんな治療法があることを知りました。 うさんくさいものから、わりと理にかなっていそうなものまで。 個人的には、うさんくさいものでも、本人に合っていて、本人が納得してやることで結果は違ってくるのかなーと思います。 今の世の中、山ほどの情報があります。その中から、いかに自分にマッチした情報を選別して見つけられる

          色々な治療法について【余談その1】

          【7】ケトン食療法と出会う

          ※初めての方はこちらからどうぞ 弟に、癌であること、余命の事、抗がん剤をするということを話したところ、弟はすぐに何か良い治療法がないか検索し始めました。 そこで自身も体作りで知識があったケトン食がよいのではないか、という話になりました。 癌細胞は糖質を餌にするので、糖質制限を行い脂質で動かせる体にして、癌細胞を兵糧攻めにするという原理です。 父は、その理屈に納得がいったようで、その日から、弟の食事指導と運動指導が始まりました。 基本的には抗がん剤と平行して行う事が推奨さ

          【7】ケトン食療法と出会う

          【6】治験、対象外で受けられず

          ※初めての方はこちらからどうぞ その後の診察日、担当医から、検査の結果、父は治験の条件に合わなかったため、治験は受けられないと告げられました。 僕は医師から直接聞いておらず、両親も「条件に合わない」という結果だけ理解していて、細かい詳細は理解していなかったため正確ではないのですが、確か遺伝子か免疫細胞だかの形が、明示されていたものと合わなかったという理由だったような気がします。 ただ、前回の話の通り、抗がん剤をやらなければ余命は三ヶ月程とのことだったので、抗がん剤は開始す

          【6】治験、対象外で受けられず

          【5】その治験、ちょっと待った!

          ※初めての方はこちらからどうぞ 父と母は「治験をやるしかない」となっていました。 一応やるつもりで、次回の診察時にまでに、父の細胞(何の細胞だったかは失念しました)が治験を受けられる条件に合致するかの結果がでるとのことでした。 ですが、僕は、その治験の条件である「一番強い抗がん剤を併用」というのがどうにも不安でたまりませんでした。 というのも、父が癌と知ってから、僕が読んだいろんな書籍などや、実際に近しい人が癌になった方からお話しを聞いて、抗がん剤に対する評価がとてもネ

          【5】その治験、ちょっと待った!

          【4】医師から治験を勧められる

          ※初めての方はこちらの記事からどうぞ 念のためのセカンドオピニオンでも同じ結果が出て、最初に診断してもらった国立の病院に通うことになりました。 まずは化学療法についての説明でしたが、最初、父は治療は全て断り、何もしないつもりでいました。 ですが、医師からは「何もしないなんてとんでもない。抗がん剤をしなければ余命は三ヶ月くらいですよ!」と言われたそうです。 抗がん剤はしない。と言い切っていた父ですが、そう言われて気持ちが揺らぎました。 そして治験を勧められました。 医師

          【4】医師から治験を勧められる

          【3】癌と余命宣告

          ※初めての方はこちらの記事からどうぞ 父は、タバコも吸うし、毎日晩酌程度に酒を飲む人でした。 2018年10月の終わり、知人の通夜に参列し、その後、酒を飲み帰宅。通夜の後、どのくらいの量を飲んだのかは不明ですが、いつもよりも多く飲んだようです。 翌日、お腹が痛いとのことで、母の強い勧めにより、休日診療で病院に行きました。 父は、病院が嫌いです。普段ならば母が勧めようと病院には行かなかっただろうと思います。でも、たまたまその日は仕事が休みだったこともあり、病院へ行くこと

          【3】癌と余命宣告

          【2】僕たち家族について

          ※初めての方はこちらの記事からどうぞ 父、母、僕、弟の四人家族です。 僕は結婚し、妻と一緒に実家から電車で一時間半ほどの距離の所に住んでいます。弟も家を出ており、彼女と一緒に実家から30分ほどの所に住んでいます。 父と母は、実家で二人で生活していました。父は66才、建築関係の個人事業をしており、現役バリバリでした。母もパートで働きに出ています。 父はタバコも吸うし、酒も晩酌程度にほぼ毎日飲んでいたと思います。 癌が判明したきっかけは、父が知人のお通夜に参列し、その帰

          【2】僕たち家族について

          【1】末期癌の闘病。家族側からの視点

          末期の胃癌だった父が、2019年の年末に亡くなりました。 癌の宣告から旅立ちまでの出来事などを少しずつまとめていきます。 記録に残そうと思ったのは、末期癌の最後、死に向かって体がどう変化していくのか、医療サイドの情報はたくさんあるけど、知識もほぼないド素人側から視点による情報があまりなかったから(検索の仕方が悪かったのかもですが)。 あと、自宅での看取りについて。 うちの場合は家に連れて帰ってあげようというのが急遽決まり、医者は一般的な情報はくれるけど、色々詳しく調べる

          【1】末期癌の闘病。家族側からの視点