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自分のルーツをたどる旅【伊藤家】

「自分とは何か」について考えるときに開発したのがライフレコード です。自分についてさらに深めていくと、その先には親がいることがわかりました。両親あっての自分ですからね。
そこで、先日帰省したときに自分のルーツを辿ってみることにしました。

父の父の父の父

まずは福島県郡山市にある父方の本家へ行くことにしました。本家には叔父と94歳になるおばあちゃんがいます。当主たる叔父からルーツについて話を聞くことにしました。叔父は家系図を見せてくれながら色々と教えてくれました。それでも先祖として辿れるのは4、5代前くらいのようです。
僕が生まれるずっと前に死んでしまった祖父のこと、曽祖父のこと、それぞれのストーリーを聞くことができました。

父の父「重一」は宮大工で、お祭り男。獅子舞が上手だと地元では評判だったそうです。急な傾斜が続く神社の階段をまるで生きているかのように獅子舞を操る技術を持っていました。祖父の代で三春から郡山に出て来ました。

父の父の父「専太郎」は地元三春の建設業者の取りまとめ役だったそう。日露戦争へ従軍した経験を持ち、「いつかまた戦争が起こるだろうから」と言って宵越しの金は持たず、ほとんど部下に配ったり飲んだくれていたとのこと。だから自分の家は大工のくせに常にボロ屋だったと叔父は語ってくれました。

父の父の父の父「重太郎」は白河で大きな木材問屋を営んでいたとか。
その前の先祖は新潟の加茂あたりにいたのではないかという話も聞けました。まさかの新潟!これはルーツに意外な地名が出て来ました。

20年ぶりのお墓まいり

「場所、変わったけどわがっか?」

叔父にそう聞かれたのですが、お墓まいりなど小学生か中学生以来行ったことがなかったので、お墓の場所はおろか、お寺の場所さえも覚えていませんでした。場所が変わったというのは、311で墓石が倒れ、壊れた後、親族で色々あったそうです。詳しくは聞けませんでしたが。。

そこで、父方のお墓まいりに行くのに、わざわざ父が車で2時間かけて案内するために本家まで来てくれました。父と歩くお墓までの坂道。確かにお寺は一緒でしたが、以前記憶していた場所とは全く違うところに新しいお墓がありました。
それよりも衝撃だったのは覚えていたのと家紋が違う!!ということ。梅小鉢だと思ってたけど、木瓜紋になってる!?僕が間違えて覚えていたのが、何らかの事情で変わったのか、父に尋ねてもわからずじまい。
家紋はルーツを辿るのに大きなヒントになります。「伊藤」姓は藤原氏の流れを組む一族。藤原秀郷から伊勢に流れ、「伊藤」に改名し平家に組したという。ただし、明治以降国民全てが姓を持つようになったこともあり、明治以前の出自が定かではないので、我が家が本当に秀郷流かどうかはわかりません。

父の幼少期を辿る

せっかく三春まで来たのだから、父の幼少時代過ごした場所を見てみたい。そう思い、連れて行ってもらうことにしました。人格形成において重要な幼少期。父の幼少期を知ることで、最も本質の部分を知れるような気がしたのです。
案内してもらった元々本家があった場所は、三春駅からほど近い川のそば。道路拡張工事で今はただの道路になっていました。

「冬はこの山でスキーをしたんだ」

「この川で昔酔っ払って親父が溺れて」

だんだん饒舌になる父。目の前に神社があり、そこにも行ってみることにしました。街並みは変われど、神社なんかは変わらないものです。

長い石段を登る間にも、
「手すり滑りをした」
「この大木のうろに入れた」
「秋は落ち葉を集めてそこにジャンプした」
「この木に登ったなぁ」
と、どんどんと子どもの父の姿が出てきます。還暦をすぎて、もう一度子どもに戻ったかのようにウキウキしているのがこちらにも伝わってくる。父にとっても幼少期の思い出に触れられたのはよかったのかなと思えてきました。

神社は今では遊ぶ子どもの姿はなく、蚊の住処になっていました。地域の守護として、子どもたちの遊び場として重要な場所だったんだなと感じます。
この石段を祖父は獅子舞で駆け上がったのか、
曽祖父はこの川のそばでお酒を飲んでいたのか、
など、叔父から聞いた話が現場に行くことでより鮮明なイメージとして映し出されました。空気感や土地勘、雰囲気など現地に行かなくてはわからないこと、掴めないことがあります。今回、郡山、三春と訪れて伊藤家の家系としての雰囲気が何となくわかったような気がしました。
父、祖父、曽祖父、さらにその先のご先祖の歴史や流れがあって、今の自分がいる。僕にも半分、その血が流れているのです。そのDNAが繋がっているのです。

次は、僕のもう半分。母方のルーツを辿ってみたいと思います。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!