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もやもや病になった時のこと(3)

4日目、最終日。

4日間の間、ドクターと名乗る人が5人は来て、全員に事の始まりからこの病院に来るまでの説明をして、だんだん何度も説明しすぎて、最終日には少しずつ言ってることが変わっていた気がする。

看護師の方も1日に2-3人変わり、計4日間の入院中、同じ人は来なかった。一体どんなシフト表なのか気になった。看護師は皆、名前と誕生日、私が今どこに居るか聞いてくる。これは脳神経科だからなのか分からない。言語障害が出てるか確認してくるが、元々活舌が悪いので、より悪くなったかどうかも分からない。

最終日は、リハビリの先生も2人来た。一人は歩けるか体幹は問題ないか確認し、もう一人は日常生活で支障のある項目をすべて一緒にチェックした。

家に階段はあるか、ご飯はどっちの手で食べるか、包丁はどっちの手で使うか、仕事では何をしているのか、など、30分以上話し合った。

犬の散歩の際、リードは必ず使える左手で持つこと。

包丁は出来る限り使わない。ハサミなどを使う。

おたまやフライ返しは取っ手の大きなものに変える。

お風呂にはスリップ防止のシートをつける。

メモするときはスマホの録音機能を活用する。

など、私の生活に合わせて気を付けることを教えてもらった。これらはすごく役に立って、聞いていなかったら事故が起きていたかもしれない。

最終日はリハビリの先生と服を自分で着替えられるか練習もしたため、午後には病院着から普通の服に着替えた。右手は親指と人差し指でつまむぐらいしか動かなかったので、とにかく大変だった。

夫の仕事が終わり次第迎えに来てくれて、そのまま家に帰宅した。人生で初めての入院だったが、誰から見送られるわけでもなく、今後の説明があるわけでもなく、あっさりとしていた。同じフロアの他の患者に比べたら、歩けるし、話せるし、ほぼ健常者なのでそんなもんだろうか。

そこから1週間、母親がカナダに来るまでは、夫が本当に良くしてくれた。何をするにも過剰なくらいサポートしてくれて、心配してくれた。またいつか再発するかもしれないから、今でも心配してくれている。

もう一生タピオカミルクティー(高血圧の敵)を買ってくれない気がする。

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