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もやもや病になった時のこと(2)

救急車で転院したときは、もう夜の10時だった。夜勤の脳神経医の先生が来て、体中の神経のチェックをした。(足や腕を曲げたり伸ばしたり、圧をかけてみたり。)

結果、やはり右腕に問題がある為、MRIを撮るから2-3日検査入院することになった。

ベッドの空きが出るまで救急ルームのベッドで待機してた。火曜日の1時すぎにやっとベッドが空いて、2人部屋に移動した。寝ようと努力はしたが、同じフロアは脳神経科の患者のフロアだった為、奇声やアラームがうるさくてあまり寝れなかった。2人部屋のもう1人も、トイレに行く際、看護師の補助が必要だった為、毎回起きてしまった。

その日朝起きてからは特になにもなく、夕方、担当医の先生が来て翌日朝にMRIを撮る事、私の病気について少し教えてくれた。そこでなにかが爆発するように泣いてしまった。そして母に電話をした。

これからこの右手が不自由なまま職場復帰できるのか?

これが一番の心配事だった。私にとって仕事=生活を支える軸で、仕事がないと人生終わるくらい重要なものだった。幸い、私の会社はそういうサポートが揃ってる会社だったので、職場復帰もゆっくり出来るようサポートすると言ってくれた。(結局、もともと持っていた有給と病欠全部使っただけで済んだけど。)

合計10年は海外に暮らしていながら、親に電話するのはほとんとなかった私が、泣きながら母親に電話してしまったからか、次の日には航空券を予約して、こっちに来ることを決めてしまっていた。

この日、会社からお見舞いの花が届いた。今までもらった花の中で一番うれしかったかもしれない。

救急病院に行ってから3日目の水曜日、朝ごはんを食べて2時間後、MRIを撮りに移動した。そこで初めて、同じフロアの他の患者を見た。何人か、複数の線を頭中に付けていた。部屋の中に大きいモニターが複数あり異様なかんじがした。

MRI自体は耳栓をしてヘッドフォンをして造影剤を腕から流して頭だけ撮るもので、造影剤が体に入ると体中の血管が一気に熱くなる感じがした。撮影中はリズミカルな騒音が響いていた。閉所恐怖症だったら多分我慢できないだろう。

3日目ともなると病院生活になれてしまい、今では入院中のことを思い出せない。ひたすらYoutubeを見たり寝たりしてすごしていた気がする。

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