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パズル

人と人はパズルのピースのようだと、よく表現される。
こんなにも多くの人の中から、ぴったりとはまる形のピースを見つけることは困難で、本当に100%ぴったりなんてありえない。100%だと信じたい気持ちから、そうだと思い込んでいるのではないだろうか。

というのが、まず第一段階の私の考えだった。

人と人との繋がりをパズルのピースで表現するなら、近い形の人と仲良くなり、ピース同士の隙間は必ず存在して、その隙間こそが相手への思いやりなのではないだろうか。他人と違うことは必ずあるということを踏まえた上で、相手への気遣い、配慮、思いやりなどでその隙間を埋める。そうすることで人とうまく付き合っていけるのかもしれない。この隙間の認識をお互いにできれば、とてもいい関係になれるのではないだろうか。

という第二段階。
第一段階のままでは、気持ち的にネガティブな気がした。さらに考えを進めていき、この第二段階に到着。第二段階は今でも変化はなく、人と関わる上で大切にしている。

そして、第三段階、というよりも、これは奇跡的な話。
ぴったりのピースなんて存在したとしても、そのピースに出会える確率はかなり低いだろうと思っていた。いや、今でもそう思っている。
にも関わらず、ぴったりのピースがあったのだ。何においてぴったりなのか、というのはもしかしたら個人差があることなのかもしれない。が、私にとって一番大切な価値観が似ているを越えて同じなのだ。価値観以外にも、感じ方、暮らし方、興味を持つ対象、そして幸せの定義。たくさんの同じ。他人とは思えない感覚。出会ってからしばらくの間は、言葉では言い表せられない気持ちが支配していた。別々の環境で生きてきたのに、同じようなことを経験していること、同じHSPであることから感じ方も同じ。そんな中でも、しいて言うなら、私の方が多くの人と関わってきたということで、成長スピードが違うということ。私はエンパスで、第6感が働くということ。違うところはそれくらいしかないかもしれない。

この感覚は、ぴったりのピースを見つけた人にしかわからないが、もう一人の自分を見ているようで、そしてとても大切に、大事にしたいと感じる。互いにそう思えていることは奇跡である。

自分と違う人に興味があったり、惹かれたりする気持ちはもちろん理解できるし、私もそんな時期があった。私の場合、長い時を過ごす相手は、違う人ではなく、同じ人がいいなと思う。穏やかな日々、些細な事が幸せだと感じる私にとって、この出会いは限りなく幸せなことである。

同じ好きなことを一緒にしているときも、片方がしているのを見ているときも、幸せな気持ちになれる。
そんな風に感じさせてくれるこの片方のピースを大切にしたい。




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