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"綺麗にきみをあいしてたい"作詞中のメモ#1

なんて呼べばいいんだろう?会いたくない寂しさ。

家の中一人、体に力が入らず、床にぺたりと座り込む。

何分、いや、何十分そうしてたんだろう?
思考が自分の知らない空間に飛んでいく。

言葉になる前の、感情が発生した瞬間の回路みたいなものの中を漂っている感覚。

人は、たくさん感じた気持ちの中から、より強く、よく感じるものだけを言葉にしたのだと思う。
だから、私の体の中は、時々、なんて呼べばいいか分からない感情が飛び交う。

言葉にできないそれは、なんだかムズムズしてて、とても気持ち悪く感じる。
お風呂のお湯を沸かしていたことも忘れて、すっかり冷めてしまってた。
沸かしたお湯もお茶を入れないまま冷めてたし。何をやってるんだ。

こんな普通の生活すらたまにできなくなってしまう。
ちょっとしたこと、ちょっとしたことなんだろう。
歯車っていうのは、そういうのでずれて、ずれて、めちゃくちゃに狂ってしまうんでしょう?

最近付き合い始めた彼氏がいる。
その人はとても優しくて、私のことを好きでいてくれている。
だから、私はとても幸せなはずだ。
連絡はまめにくれるし、私のことをとても気遣ってくれる。
だけど、そんな彼の気遣いに、適度なわがままを言える自分になろうと変な努力をしている気がする。
なんだよそれ。なんだかうまくいかないなぁ。

こんな時に作る料理は大抵まずい。気持ちが乱れてると、普段は忘れない下味の塩とか、そういうものを忘れてしまうからだ。

料理もそうだ。ちょっとしたことでまずくなってしまう。お菓子なんてもっと典型的だろう。

24時間のごみ捨て場なんてものが最新の家にはあるけれど、あれは便利だけれど、ちょっと気が悪いとも思う。

いろんな人のゴミを入れるためだけに作られた部屋なんてものは、ちょっと気が悪い。
部屋もかわいそうだ。

もし自分が部屋だとして、じゃあ君、ゴミ部屋ね!なんて言われたらめっちゃ悲しいと思うもん。
調子のいいことなんて世の中にはない。

だけど今日の朝日はとても綺麗だ。
光の粉が降り注がれてるみたいに、きらきらしていて、なんだかうるうる潤っているようにも感じる。

私は目を細める。
ふんわりと目を細めるという行為は幸せな時によくする気がする。

ご飯が美味しかった時、お風呂の中に入って気持ちよかった時、可愛い犬とすれ違った時。
目を細めると、心が解ける。

嬉しさが溢れる隙間が体の中にたくさんできて、洪水のように溢れかえってきて、あまりにもその幸せが大きいときは、鼻の奥がツンとして、うれし涙が出てくる。

うれし涙が出るときの、胸が嬉しさで溢れかえって震えるような感覚は、朝日の美しさにとってもよく似てると思う。

だから、私たちは、悲しい時こそ、朝日を拝むべきだと思う。心と体は繋がってるから、心がうまくいかないときは、体をいい状態にしてあげるべきだ。

そんなだから、雨の日というのはいつも少し憂鬱な気分にさせられるんじゃないかなとも思う。

雨粒というものは透明だ。なのに、なぜかみんな雨は青のイメージを持っている。それって、雨の日は気持ちがブルーになるからじゃないのかな?

そもそも、悲しい気持ち、イコール、ブルーって、気持ちに色がついているのも面白い話だと思う。

※メモはほとんどフィクションです

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