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いまぜんぶ ぜんぶかけなくちゃ

梅雨明けを待つことはや一ヶ月。7月も下旬。疫病がもたらした災厄は依然として出口の見えない一方、街に人は溢れ、ステージは再びライトで照らされています。

延期されていたアンジュルム、つばきファクトリーのCDリリースの報せも届いて、ハロプロ楽曲大賞もなんとか開催できそう。ノミネート曲数は例年に比べて寂しくはなるでしょうが、去年大変過ぎて二度とやるまいと思ったノミネート曲を全部聞く企画のハードルが下がったとも言えます。

加えて反省として投票期間直前にまとめて200曲とか聞いたのがいけなかったと思い、今年はこのタイミングでまず上半期のノミネート曲をチェックすることにしました。

純ハロプロ曲の少なさは目立ちますが、全体では61曲とそれなりの数で、かなりの掘り出し物も見つかりました。

とはいえここで全部紹介したら年末書くことがなくなってしまうので今回は猛烈に聞きまくってる一曲だけレビューしたいと思います。

世界で一番かわいいアイドル / アップアップガールズ(2)

昨年のクリスマスイブに公開されたアップアップガールズ(2)のシングル。投票期間の関係で今年度のノミネートです。

何よりもまず目を引くのはクレジット。

作詞・作曲:大森靖子 編曲:サクライケンタ

わぉ癖が強そう。しかしながら曲調はここから連想されるどぎつい色彩のポップアートとはかけ離れており、まるで淡い水彩で描かれた風景画のような温かみのある空気が流れています。つんくプロデュースの青春三部作の続編といった趣きです。

恋を恋を我慢してないわ
パチパチと光る時間に

なんだか最近のつんくっぽい言葉足らずな感じがあるでしょ。でもこれで完璧なんですよ。<パチパチと光る時間>。時に儚く、時に激しく燃えるせんこう花火のような青春の形容として、これ以上にぴったりで可愛いいものがあるんでしょうか。もうここだけわたしが書いたことにしたい。同じドルヲタとして嫉妬してしまいます。

一緒にジャンプして 
ハートで撃たれて
また目があったら 
次は私 愛をコールして

続くこの詞も見事です。アプガ(2)の素朴でひたむきな歌声の力も相まって、ステージ上でアイドルが放つ一瞬の輝きを切り取った珠玉のスナップになっています。

ひたすら王道のまっすぐなアイドル像。もう今のハロプロではなかなか歌えません。他所のグループで王道を標榜するところは沢山あるけれど、この嘘くさくない青春感を出せるのはアプガ(2)しかいない。これは本当に凄いことですよ。

ということで今年の楽曲大賞は決まり!

じゃ、ちょっとつまらないですよね。私だけかもしれませんが、ちょっと引っかかっちゃうポイントがありまして、肝心のサビ頭です。

今 全部 全部賭けなくちゃ
この先の夢は叶わない

引っかかるポイントと言ったらおかしいかもしれません。この一節は楽曲全体に不可欠で根幹をなしていて、ここを抜きにしたらそれこそ全部駄目になってしまいます。

一瞬に全てを賭けること。真剣度合い。無限に広がる未来を今の一点に集約することで放つ輝き。アイドルの魅力の出処って実はほとんどここなのかも。

でも、その仕組みが白日のもとにさらされると、私はなんだかとても恐ろしい気持ちになるのです。自分は全部を賭けることを要求しているんだなって。

何故、彼女たちは全部を賭けるのか。賭けてしまうのか。それは「世界で一番かわいいアイドル」になるためです。ここから少々大森靖子の書く歌詞の世界を見ながら、この言葉の意味を探って生きたいと思います。

大森靖子の歌詞世界

まず<かわいい>は大森靖子にとっての永遠のテーマで、究極の目的です。

かわいいは正義という言葉がありますが、まさしくかわいいはそれ自体で価値なのです。かわいいは称賛であり、承認です。かわいければ他者からの愛を受けられます。かわいければ自己を愛することができます。かわいいは救いです。

そして主旋律である<かわいい>に対して、大森靖子の歌詞世界に響く通低音は極めて主観的な(独我論的な)リアリズムと、その裏返しとしてのセルフ全肯定だと思います。

鍵垢のわたしの 自由は外ではなんも
撃ち抜けないおもちゃ
他人の愛にしゃがれて 血を食べる
(わたしみ  / 大森靖子)
ギャルママが飲み干す缶チューハイハイになって手放すベビーカー
大事にしてたのは嘘ではないよ わかって欲しいわかんないよね
(Over The Party / 大森靖子)
私はいつ完成するのかな
とりあえずみたいな自分で誤魔化してる
完成した私で恋とか仕事とか
お茶とか自撮りとかしたいのに
(GIRL'S GIRL / 大森靖子)

とりあえずの私。かわいくない私。汚ない私。愛されない私。孤独な私。大森靖子の描く傷だらけの肖像は、同じように傷を負った人々に迫ります。どんなニュースや数字よりも、この<私>が、私の孤独と苦しみだけがリアルなのです。

この主観的リアリズムは、綺麗なだけの空虚な言葉や、気休めの優しさを強く否定します。そんなものは私の孤独に届きません。かわりに提示されるのが無限の全肯定です。

汚れても 泥まみれで進んだのを
不純だなんて思わない
やり直さなくていい 消さなくていい
そのままで素敵な 君なんだ
(A INNOCENCE / ZOC)

ありのままの自分が素敵だ、というメッセージは一見陳腐に映るかもしれません。しかしここには前提としてリアリズムがあります。ありのままの<私>は決して美しくありません。歪で薄汚れている。その汚れた姿を直視しつつ、だからこそ素敵なんだよと、掛け値なしの無償の愛を提供するのです。ケツ毛ごと愛しますってことです。

ただ、これは君という他者への救済宣言の体をとっていながら、実はひたすら己に向けられた自己肯定になっています。

なぜならリアルは<私>のものでしかないからです。故にリアルの肯定も<私>のものでしかありえない。泥まみれで進んできたのは他でもない大森靖子です。

かわいいは正義に殴られた私が
いまにみてろと無理矢理つくった
このかわいいは剥がれない
絶対誰にも剥がせない
(GIRL'S GIRL / 大森靖子)

彼女の<かわいい>は、かわいくない自己すなわち否定される<私>を肯定するために生み出された剥がれない仮面です。<私>にはブスだ、メンヘラだと罵しる奴らには理解できないだろうし、される必要のない唯一無二のかわいさがある。誰がなんと言おうが私はかわいい。

この自給自足のセルフ全肯定が、疎外感に苛まれる<私>をそのまま救済するために導き出されたロジックです。他者の存在を拒絶することによって<私>を絶対化する。独我論的な魔術によって、彼女の歌に自らを同一化させる他の<私>達を同時に救済しようとしているわけです。

”世界で一番かわいい”の代価

だいぶ寄り道してしまいましたが、「世界で一番かわいいアイドル」という純粋無垢に見えるアイドルソングも、この大森靖子のリアリズムを基礎とした魔術的世界感の中で作られています。

女の子だもん世界で一番じゃなきゃ意味ないんだなぁ
かぶんない世界一さがしてたら
ギネスみたいになっちゃうかもだけど
「おいー!方向ー!」
って突っ込みながら笑ってついて来てほしいよ
わたしも、、、 あなたのこと
余裕で 世界一、、、 好きだし

"世界で一番かわいい"とは存在の全肯定にほかなりません。2位じゃダメなんです。2位以下は換えがききます。他ならぬこの私が好きだという宣言、それだけが意味のある存在肯定たり得ます。

これは先程のかわいい宣言に比べると、一見弱気で他者にかわいいを依存しているようにも見えますが、やはりセルフ全肯定の変奏曲です。

存在の全肯定や、無償の愛や、絶対的価値を、他者がもたらしてくれるなんて虫の良い話は、大森靖子のリアリズム上認められないんですね。白馬に乗った王子様はやってきません。価値あるものは必ず代価を支払って獲得しなければなりません。

そして世界で一番かわいくなるために必要な対価は、全部です。存在全部なのです。

世界中の誰からも絶対に認められる可愛さなんてものはなく、人からの評価は相対的で移ろいます。だから自らのうちにかわいいの根拠を築く必要がある。でも<私>はかわいくない。どうすればよいのでしょう。

自分が思う<かわいい>をつくりあげ、そこに<私>の全てを賭けるのです。<私>という唯一確かな存在の重みが、<かわいい>の担保となります。

自分のリアルを全て、自分の信じるファンタジーに賭けること。これが大森靖子が<かわいい>を手に入れるために己に課した誓約であり、彼女が愛するアイドルたちにも要求することになる制約なのです。

世界で一番かわいいとか、世界で一番好きなんて、中々面と向かって言えることばありません。それは一面では相手を全面的に肯定する言葉ですが、相手の全存在を要求する言葉でもあるからです。

ヲタクとアイドルの間ではファンタジーとしてそういった発話が許されています。これがファンタジーである間は互いの価値を承認し合う幸福な依存関係が築かれます。

しかし、それは非常に危うい関係です。存在全部は決して安い代価ではなく、全てを賭けることは容易ではないからです。

大森靖子その人が揺らいでいるのを見ながら、わたしは己の発っした「世界で一番かわいい」が秘めていた魔力を思い、少し目眩がしてしまうのです。








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