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失われたトキメキを求めて

トキメキとは何だったか

子どもの頃、いろんな空想を楽しんだ。
空想しすぎて、怖くなることすらあった。

いい空想をすると、ふと頭の中ので何かが弾けたような、光を見出したような、パーッと開けたような気持ちになることがあって、いや、こんな書き方ではまったく表現しきれていないのだけど、とにかく、ある意味キマったみたいな状態になることがたびたびあった。
麻薬って、そんな感じになるのかな、と思ったりする。パッといい気分になる。子どもの頃は、実に頻度高く天然でその状況に入ることができていた。
それって、一言で表すとすれば、「トキメキ」なのではないか。脳内物質の何かしらなのだろう。

大人になると、この「トキメキ」状態に陥ることが極端になくなってしまった。先日私は自宅の近所で本当に偶然、推しのミュージシャンに会ったのだけど、その時ですら、さほどハイな気持ちになることはなかった。「おお〜なるほど」くらいな反応。こんな奇跡が若い頃に起こっていたら、その日は夜も眠れないくらいワクワクが持続しただろうに。

それでも、本当にまれに、数年に一度くらい、シャワーを浴びている時などに、ふとあの子どもの頃のような「トキメキ」の感覚が戻ってくることがある。
それは一瞬で消えてしまう。虹のようなものだ。

10代の息子を見ていると、きっとその「トキメキ」を味わっているのだろうと思う。
実に、実に羨ましい。その感覚を忘れずにいてほしい、と強く思う。

2023 年の瀬に

2023年も今日で終わろうとしている。
おかげさまで今年もたくさん、心に残る仕事ができた。家族も、まあ、受験生を抱えているので、いろいろ…あったけど、無事に過ごせただけで結果オーライと言いたい。昨日は夫と二人で恒例の成田山詣へ。今年も一年ありがとうと伝えあって、いいシメを迎えられた気がした。

人付き合いでいえば、今年は大きなものを失くして、また別の大きなものを得た、みたいな一年だった。
実際はどんな意味があったのか、もう少し、時間が経ってみないとわからない。

時折、挿し込むように不安や悲しみに襲われることがあった。思い切って友達にそんな話をしたら、まったく同じ状況にあり、彼女はそれを「かさぶた剥がし」と表現していた。名称を付けてしまえば、何かこの苦しみがエンタメ化できたような気がする。そんなふうに自分を茶化しながら、すべてを笑いに変えて、50代を楽しんでいこうと話して、少し気持ちが楽になった。

別の友達には、あなたは何を悩むことがあるの、と言われた。
家族があって仕事もあって、いつもインスタグラムではおいしそうなものばかりを投稿して、何不自由ないように見えるよ、と。
確かに、言われてみれば、何不自由ないのだ。
だけれども、人は条件だけで生きているわけではない。劣等感や喪失感、虚無感のようなものは、外側からは見えない。誰もが少なからず、苦しみや悲しみを抱えて生きているということを、忘れてはならないんだな、と逆に思わされる。
その想像力が、私にとっては大事なのだ。

暦を意識して過ごしたい

大祓に訪れたら、鳥居の上に山鳩が止まった。

今年は年下の友達に誘われて、毎月神社にお参りするようになった。彼女はいつも暦を気にしていて、暮らしぶりも丁寧だ。
考えてみたら、こうして神社に通うようになって、ラッキーが続いている気がする。気がする、そう、気が大事なのだ、すべては。

明日からの2024年は、暦を意識して過ごしたいと思っている。
もっともっと、縁起をかつぎたい。

そして去年から引き続き、憧れの「ドライな人」になれるように、なんでも流す努力を続けよう。死ぬこと以外はかすり傷、そんな気持ちで、かさぶたもすぐに乾いてなくなってしまうように。

来年もどうぞ、こんな私をよろしくお願いいたします。
みなさまが幸せでありますように。
良いお年を!



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