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おもいでの……後楽園ゆうえんち

ドームでインタビュー取材があるので、本当に久しぶりに水道橋へやってきた。取材スタッフと落ち合う前に、後楽園ゆうえんちを見下ろしながらお一人さまランチ。あ、後楽園ゆうえんちなんていわないのか、東京ドームシティというのか。

人影もまばらな遊園地を眺めながら、ふと思い出した。

愛知県出身の私は、中学生の修学旅行先は東京だった。今もそうなのかな。国会議事堂などを見学して、きっとお楽しみはディズニーランドなんだろうけど、あの頃は東京ディズニーランドができたばかりで、修学旅行先としてまだ組み込まれなかった。

では、それまではどこがお楽しみスポットだったかというと、この後楽園ゆうえんちだった。宿泊も、遊園地に隣接するホテル(ドームホテルではない)。東京に憧れていた私は、もう中1の頃から指折り数えてその日待ち詫びていた。

ところが、である。

中3になった時、後楽園ゆうえんちはまさかのクローズをしていた。東京ドームができる前後だから、あちこちスクラップ&ビルドしていたのだろう。遊園地の代わりのレジャーとして当時の担任たちが定めたのは、「鎌倉大仏ハイキング」だった。

当時の私たちの落胆ぶりときたら。いや本当に、心底ガッカリした。なんでハイキング? 他に遊園地ないの? できたてホヤホヤのディズニーランドでいいじゃん?

2泊3日の修学旅行、初めて乗る東海道新幹線。ホームで待機していたあの瞬間すら、リアルに思い出すことができる。でも、国会議事堂以外、初日の東京見物は何一つ覚えていない。雷門?たぶん行ってない。東京タワーも、バスから眺めただけだったんじゃないだろうか。お台場・・まだなかった。確か。

翌日はバスで移動して、鎌倉ハイキング。

「ないわ〜」とゲンナリ気味にスタートしたのだが、少し歩くと、なんともいえない、ワクワク気分がこみ上げてきた。梅雨入り直前の鎌倉は、緑が濃く、いい気が満ちていた。

「ここは、いいところだな」素直にそう思った。

ルートはどうだったろう、大仏の横も通ったし、山の上のハイキングコースから由比ヶ浜辺りを眺めた気もする。そうだ、建長寺でいったん集合したことも覚えている。鎌倉学園を前に、

「桑田さんの母校だ!」

なんてサザンファンの友達とはしゃいだっけ。ああ、書いていたら蘇ってきた。

その夜は江ノ島近辺のホテルに泊まった。国道134号線に、バリバリバリバリ、と耳をつんざくような爆音を響かせながらリアル「湘南爆走族」がやって来て、田舎の中学生たちは窓から身を乗り出してその姿を捉えようと大興奮だった。

翌日は西湘の海を眺めながら、箱根へ。思いがけず海の水がバスクリンのようにきれいで、その光景が忘れられない。翌日散策した彫刻の森美術館も、印象に残った。

そんな修学旅行だった。

期待以上に、楽しかったのだ。

それから鎌倉が大好きになった。大人になってからは、何度も足を運んだ。いつかここで暮らしたいと思うようになった。

あれから30年以上が経った。10年前から、私は江ノ島にほど近い、鎌倉の端っこに住んでいる。

あの時、後楽園ゆうえんちがクローズしていなかったら、私が鎌倉に住むことはなかっただろう。

人生とは不思議なもので、あれがやりたいとか、こうなりたいとか、それが欲しいとか、都度都度の希望には何度となく振られてしまうものだけど、長い時間をかけて眺めてみると、なんだ結局、これでよかったんじゃん。と思えることがたびたびある。だから、直近の失望や挫折なんてものにずっと心を囚われているのは、とてももったいないことだと思う。

この遊園地には20代の頃、結婚前の夫と何度か遊びに来た。

ロン毛だった当時の夫が縮毛矯正のパーマをかけ、カットをしないもんだから本当におかしな髪型で、かつ、3日くらい洗髪しておらずネチャネチャしていて、でもストレートヘアを崩したくないからと帽子も被らずに待ち合わせ場所にやって来て、「うわ・・・一緒に歩きたくない。」と思ったあの日も、後楽園で絶叫マシンに乗った。

ぼんやりと遊園地を眺めていたら、今でもあのジェットコースターに、板海苔のような頭をした夫が乗っているような気がした。


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