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宿命を受け入れている人の持つ、圧倒的な輝きとは

あれは2年前のこと。

夕方のラッシュ時の混雑で、やれやれとため息をつきながら駅の改札を抜けると、

向こう側から、ひときわまぶしいオーラを放つ人がやって来ました。

その人は歩いてきたわけではありません。

電動の車いすを颯爽と走らせてきたのです。

2メートルぐらいの至近距離に近づくと、わたしはハッとして目が離せなくなりました。

それは、あまりに美しい女性だったからです。

大きな瞳をより際立たせる華やかなアイメイクに、口元はつややかなコーラルピンクのリップ。

そして毛先をふんわりとカールさせた長い黒髪・・・。

装いも素敵で、トレンチコートに鮮やかなブルーのスカーフを巻いていました。

一瞬、見ただけで、その輝きに目が奪われ、思わず体がゾクッとするほど。
いつもは知らない誰かをじっと見つめることはないのだけど、その人のことだけは見失いたくなくて、後ろ姿まで追い続けてしまいました。

その輝きは日々の積み重ねがあってこそ


彼女はきっと、いつもそうやって。

出かける前にきれいにメイクをして、自分に似合う洋服を選んで。
そして車いすを颯爽と走らせているのだろう。

と、彼女の日々の暮らしまで想像せずにはいられませんでした。

だって、その輝きは一日や二日では、到底養うことはできないと思ったから。

さらにこうも思いました。

彼女はきっと自分の宿命を受け入れているのだろう、と。

自分の身に起きたこと。

自分が背負ったもの。

自分が手に入れられないもの。

それらをすべて受け入れ、

ものの見事に「光」に変えてしまった。

人は、「自分にないもの」や「自分ではどうにもできないもの」を受け入れて。

「自分にあるもの」や「自分でどうにかできるもの」を見つけて磨いていくと、とんでもない輝きを発揮する。

これは簡単なことのように見えて、なかなかできないものです。なぜなら、もっとも抵抗感が出るところだから・・・。

自分は彼女のように本気で生きているか?


彼女はこれからラッシュの電車に揺られて帰り、メイクを落として眠りにつく。

そしてまた明日も鏡に向かってメイクをして、とびきりのお洒落をして出かけるのだろう。

たった一瞬の、出会いとも言えない遭遇から、勝手な妄想が広がってしまったわたし。

でも、物語をつむぎたくなるぐらい、生き様が「オーラ」に「存在」に、表れ出てしまっている人っているんですよね。

自分は、彼女のように本気で生きているだろうか? 
人生を思いっきり楽しんでいるだろうか? 

ときどきふっと、思い出すことがあるのです。

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