【1/3】新年と地震

 新年明けましておめでとう🎍御座います。
 たすけ亭です。

 新年早々、大変なことになりましたね。
 地震の被災に遭われた方、謹んでお見舞い申し上げます。

 noteやTwitterでも公表していますが、僕の実家は石川県にあります。そして年末年始ということで、帰省していたタイミングでした。


 【⚠️注意】地震発生時の様子を書いているため、トラウマがある方や想像して不安になりやすい方はここで読むのをやめることを推奨します。申し訳ありません。



 地震発生時、僕は大型ショッピングセンターの一階にあるカフェにいました。そこで一人で勉強をしていました。直前に小さな揺れがあり、LINEで母と「ちょっと揺れたね〜」と言っていたところでした。
 最初は小さな揺れでガタガタという音が聞こえ、カフェにいる人たちがザワザワし始めました。次の瞬間、天井に吊るされた物が大きく横に揺れ、施設の電気が全て消え、物が倒れる音や誰かの悲鳴が響きました。僕はすぐさま机の下に潜り込み、揺れが収まるのを待ちました。
 揺れは30秒ほど続いたと思います。揺れが収まると周りの人は施設の出口へ駆け出していきました。僕もそれにならって荷物をまとめて外に出ます。
 出口付近には施設の店員さんや、パニックになり過呼吸気味になってる女性、泣き叫ぶ子ども、必死に名前を呼ぶ男性、そして鳴り響く地震のサイレン。
 僕は比較的落ち着いていました。まず離れている家族の安全を確認すべく電話をします。しかし、いつまで経ってもつながりません。メッセージは送ることができたので、それでとりあえず安否確認はできました。家族は皆、無事だそうです。

 ニュースやTwitterを見ると、震度7と表示されました。そして、『津波の可能性あり』の文字。

 しかしどれほどの緊急性なのかがわからなかったため、とても不安になりました。もしかすると、東日本大震災のように今すぐにでも津波が押し寄せるのかもしれない。そう思うと、少しパニックになってしまいました。
 その時、LINEで友達から「大丈夫?」とのメッセージが来たことが、僕の不安を少し鎮めてくれました。ありがとう。

 家族が車で迎えに来てくれて、すぐに合流することができました。これからどうするのかと訊くと、家に帰って荷物をまとめたら、加賀の方にある祖母家に避難するとのこと。また家族に津波のことを訊くと、おそらく大丈夫だとのことでした。
 今思い返すと、この僕の家族の判断は悠長なものでした。実際、僕の地域には津波が来なかったからいいものの、災害時に楽観的な考えで行動するのは良いとは思えません。少なくとも、まずは高台に避難し、数時間は様子を見るべきだと今になって後悔しています。次からはもっと緊張感をもって行動したいです。

 家に戻ると、大きな被害はなく、物が落ちたりドアが開かなくなったりしていただけでした。少し安心しました。同じ震度でも、地盤の緩さなどによって被害は異なっているそうです。

 荷物をまとめて、祖母家に向かいます。向かう途中でコンビニに寄りました。災害時でしたが、思ってたよりも食品は充実していました。こんな災害時でも働いている店員さんには感謝しかないです。おそらく、一刻も早く家族や大切な人の安否を確認して会いたいだろうに。本当に、ありがとうございます。

 そうして祖母家に避難し、現在に至ります。

 現在も余震が続いており、加賀の方にいるといえども揺れることが多々あります。
 そんな中、僕は明日、新幹線で東京に帰ります。もともと4日に帰る予定で切符は購入済みでした。大学が始まるので帰らなければなりません。
 新幹線は地震の翌日には運行再開していましたね。夜な夜な線路の点検などをしていたのかもしれません。感謝です。

 これからも余震は続くと思います。石川県や近辺にお住まいの方はくれぐれもお気をつけてお過ごしください。

 

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