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うつわを売らない陶作家を始めます。

20年と少し前のこと。
陶芸が好きで好きで、大学を卒業したらなんとしても陶芸で生きていきたいと思っていました。
ですが、まあ人生はローリングストーン、思わぬ方向にばかりころころとよく転がるものです。

私はうつわを作ることが好きでした。
高校生の頃に陶芸を始め、大学生活のほとんどをかけて夢中になりました。轆轤を挽くのがたまらなく好きで、アルバイトの時間以外、一日のほとんどを轆轤の前で過ごしていたくらいです。(普通の大学生だったはず)
食にものすごく執着があるので、当然うつわも好き。どちらも母から受け継いだものでした。
うつわの使い心地にこだわり、景色にこだわり、轆轤の上で土がうつわに姿を変えていくのを延々続けるのが好きでした。

私がうつわを作りたいと願っていた頃は、作家もののうつわをみんなが買うような時代ではなくて、好みのうつわに出会えるまで小さな食器のセレクトショップを回ったり、個展に出向いたりしなくては手に入れることができませんでした。
母がそうしていたように、私も当然そうしていたけれど、姿がよくてちょうど欲しい形やサイズのうつわを見つけるのは至難の技でした。
だからこそ、自分でうつわを作りたいと思っていたところもあります。私にとって使い心地のよいうつわを作れば、そりゃあ自分の食卓も豊かだし、まだまだそんなうつわが世の中には少なくて、欲しい人もきっとたくさんいるだろうと。
「料理を美味しく食べるための実用的で景色の美しいうつわを作ろう」それ以外はやらないと意地めいて思っていたのです。

私と夫ののりさん(家具を作っていました)は共にものづくりを続けていきたいと思いながらも「作りたいものを作りたい」という決意があって、人生の選択肢として、まずは自由にものづくりができるようになる為の「食い扶持稼ぎ」を別に持つ、ということを選びました。会社を作ってオハコルテをはじめ様々やってきました。長い時間をかけて。

たっぷり20年かかりましたが、どうにか作ったお皿が一枚も売れなくても暮らせるようになりました。

さて。そうなってみて世の中を見渡してみると、私が作りたいと思っていたようなうつわはたくさんあるのです。
陶芸職人はいてもうつわ作家なんてあまりいなかった20年前とは違い、今はいつもどこかで素敵な個展が開かれているし、たくさんの陶芸家のみなさんが個性豊かなうつわをたくさん作っているし、更にはインターネットの世界でポチポチと好みの作家のうつわをいくらでも買うことができます。
うつわ好きとしてはなんとも幸せな時代です。
となると。もはや、私の作るうつわの需要どこいった?としか思えません。うつわを作ってそれを世の中にお届けする理由がもはや私にはないのです。

それでも私は土を触ってやきものを作ることがとてもとても好きです。

自由に作陶していいよというこの場所で、私が作るものはもう実用的な何かでなくてもいい。
作りたいものはもううつわではなく、「とるに足らない小さなものだけれど、そこに空気を醸し出すもの」でありたいとここ数年考えていました。
オブジェかもしれないしアクセサリーかもしれません。花器はもしかしたらアリかも。でも、お茶碗は湯呑みは売りません。

もちろん、自分の作る料理に合う好みのうつわを作る特権は手放さないでいたいので、自宅で使ううつわは作ります。家に来てくれた友人がこれ欲しい、と言ってくれたらプレゼントすることもあるかもしれません。
でも、私がうつわを作ってそれを売る必要ってこの先もないだろうなと思うのが正直なところです。

うつわを売らない陶作家を、45歳のこれから始めようという決意表明。
ずっと好きなものを好きに作り続けるために考えた、私のやり方です。
80歳まで続けたら、たっぷり35年は楽しめますね。

活動名を決めました。
かつての私たちふたりの活動名『チューイチョーク』は会社名としてすっかり独り立ちしていきましたので。

すごくゆっくりとかもしれないけれど、作りたいものだけ作れる喜びを抱きしめて、おばあちゃんになるまで手を動かせていけたらいいなと思います。

Atelier Noocrie  (アトリエ・ヌークリー)
- a piece make the air.-

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とよだりえこ

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チューイチョーク株式会社の中でただただふらふらしています。オハコルテをしている会社です。子どもは3人です。作ったり書いたり作ったりしていられれば楽しく生きていられます。毒にも薬にもならないことを書きます。いつでもお茶とおやつを欲しがります。