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寝付けない夜に

ギャンブルってさ、犯罪、というより病気、それもむしろ人為的な、、、生物の習性を利用したハックだよね。激辛な料理がまったく平気な人がいる一方で、甘口カレーの辛味にさえ絶えられない人がいるように耐性の個体差もある。それが起こる「かもしれない」という期待に対する欲求に極端に弱い人たちがいる。

報酬システムを激しく作動させるのは、お金、食べ物、セックス、承認、新しい経験のいずれでもなく、それに対する期待だ。

1930年代の研究では、レバーを押すと餌が出てくるようにした実験で、ネズミたちは時々しか餌が出てこないようにしたほうがレバーを押す回数が多かった。いちばん熱心にレバーを押したのは、餌が出てくる確率が3〜7割のときだった。

アンデシュ・ハンセン

習性

一概に「おまえの性根が腐っている」だなどといい切れない部分がそこにはある。だってそれむしろ習性だから。更にその習性には個体差が多少あって、わたしがギャンブルにまったく興味がないのはわたしの誠実な努力の結果、、、ではなく、単にそういう習性をもって生まれただけかもしんない。

みんなの脳もつねにハック攻撃を受けている。ギャンブルを批判しているあなただって、あのヒールを履いたらあの人みたくなれるかもしれない、あの腕時計をはめていたらセンスのいい彼みたくになれるかもしれない、、、そうやって毎年移り変わるファッション競争から逃れられないじゃない。そうやってみんなのあらゆる報酬系が攻撃にさらされている。

世の中その習性を裁くことばかりに躍起になって、そのようなハック攻撃を仕掛けるものになぜか興味を向けない。。。わたしは激辛ラーメンを食べる話をしてるわけじゃない。

生まれによる性格だけじゃなくって、場所によってまた変わるんだよね。住んでる場所で、それが犯罪か合法かが決まるだなんて。そして、その「違い」は大概まったく見ず知らずの誰かの利益に直結したりしていると思うとゾっとするよ。

日本にも誘致みたいな話あるよね。もっと真剣に見つめてほしい。自分たちや子供が暮らす場のことを。こういった、生物としての特性にかかわる脳ハックを経済波及効果と結びつけるなどおぞましい。。。すべてはマーケティングだ。サステナビリティだとかデベロップメントだとか横文字を並べて議論してる遥か以前のそのまた以前の問題。経済の健全さってなんだよ。

ギャンブル依存を救うために、説教して借金を肩代わりした、、、ら、共犯になるだって?あぁ、わたしたちは遥か遠方まで来てしまったようだ。。。ルール依存もここまでくると、憤りを通り越して悲しみが広がっている。依存もまた病だ。そしてその依存もまたどこかの誰かのご都合に結びついている。わたしたちは制度という鉄の檻に安住し、そこからもう一歩も出られなくなっているのかもしれない。

大道廃れて仁義あり

老子

社会基盤やテクノロジー、それにまつわる人間のさまざまな能力は向上したけれど、2500年前から人の中身は変わっていないんだよ。

わたしたちはこの数世紀ほんとうに賢くなったのだろうか。まだ大道と仁義の区別もついていないのに。。。あらゆる社会制度、価値観、常識の前にわたしたちは人なんだ。

賢さってなんだろうね。知識を保有していることだろうか?社会制度の賛否を議論する能力だろうか?そのためのルールを熟知することだろうか?ねぇ、みんな、いや、せめてわたしたちだけは賢くあろう。

りなる



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