「心」を説明するために、言葉は不十分である。説明すれば、心は分割され「我」と「非我」が生じ、(この二元性ゆえに)善悪いっさいの行為をとげることとなり、「業」のもてあそびものとなる。

「業」も実は「心」から発する。ゆえに肝心なことは「心」そのものを洞徹することである。

鈴木大拙
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