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排除型社会 - ジョック・ヤング

文化とは、人々が日常生活で直面する諸問題に対処するためのさまざまな方法のことである。そこに含まれるのは、言語や服装、道徳的基準、政治的制度、芸術の様式、労働、規範、性のあり方 ーーー 要するに人間活動のすべてである。

安定した社会秩序がもたらされるには、二つの領域(つまり正義の領域と共同体の領域)における成功 ーーー 社会において必需品が公平に配分されることと、さまざまな価値が共有されること ーーー が必要である。完全な能力主義社会を実現したところで、社会秩序の問題が解決されることはないだろう。

人々が苦境にあっても他人を助け、正直にふるまい、相手を尊重しようと思い、そして相手を騙したり、裏切ったり、不正を働こうと思ったりしないためには、誰もが同意する価値が必要なのである。

ジョック・ヤング


ジョック・ヤングの『排除型社会』という本を薦められて読んでみた。

20世紀後半にかけて、みんなが失敗を許容してそこそこ生きていてよかった社会から、個人が安全に生活するために保険的にリスク(他者・社会の不適合者)を排除しようとする社会になってったよね、と言った話。

市場の力が強まることで、市場に労働力を提供するための「個」が重視され個人主義が台頭してきたのだけれど、個人主義には二面性がある。個を擁護する側面がある一方で、そのためにはどんな行動をも辞さないという暴力的な側面も持っている。

なかでも、アイデンティティの考察が非常に辛辣だった。個人主義が許容されるようになればなるほど、人はアイデンティティに固執する。。。現代社会において、みんなが主張する「個人主義」って、つまりは市場に提供する労働力としての画一的な価値定義にすぎない。つまり、ほぼ横並びの固定枠のなかで毛ほどの差しかないカッコつきの ”アイデンティティ” に多様性を見出そうとする飽くなき努力なのだ。

ほんの数%の「持つもの」がアイデンティティであるなら、「持たざるもの」もまた反対の意味での強烈なアイデンティティを生む。泥棒せざるをえなくて泥棒を働いたにも関わらず、泥棒であるということに自分のアイデンティティを見出そうとしてしまう。そのようにして、勝者はより多くを独占することが目的でリスク(他者・社会の不適合者)を排除しようとし、排除される側もまたそこに負のアイデンティティを見い出す。そうやって排除を基盤とした社会が生まれている。


わたしには少々難解な内容だったけど、今どのような固定化された価値観や文化基盤の中で生活をしているのかを考察するうえで思考トレーニングになる本だった。頭使った。。。

その上で、彼自身も言及しているけれど、わたしたちは闇雲に処罰を強化する方向に向かってはならない。それは勝者がより多くを独占するための保険的な排除ロジックでしかない。いま重要なのは、より良い社会への変革を担う新しい価値観。苦しいときにお互い助け合い、お互いを尊重しあうこと。

りなる



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