ファインディングりこ
私は進化しなければダメなのです。
蛇が毎年脱皮するように、見た目がそう変わらなくても今ある皮を脱ぎ捨てて新しい私ににならないとダメなのです。
1度きりの脱皮で劇的に姿を変える、蝶やセミに憧れたりもしますが、私はきっと1度だけしか変われないことに絶望してしまう。
そんな気がするのです。
「やめておきなさい」「危ないから」と言われても、怪我をするまでなぜ危ないのか、なぜ止められるのかがわからない私です。
カニはハサミが取れてしまっても、脱皮する事で少しずつ再生するそうです。
私はカニや蛇のように私でいる為の脱皮をしなければ、生きていけないのだと思います。
その脱皮の瞬間はとても危険で、失敗すれば死んでしまうし、成功してもその皮膚が固くなるまで外敵に狙われやすいとネットでみました。
なるほど
だから人は変わる事を恐れるし、できるなら今のままでいたいと思ったりするんですね。
命懸けの脱皮なんてそうはしたくないものです。
そろそろ皆さん私がカニに見えてきましたか?
なぜこんな事を書いているのか。
私の本質はただのお絵描き大好きな学生です。
私にとってのお絵描きの目標は、昨日の自分を超えて行く。なのです。
そんな私がNFTの世界に入り今もずっと不安に思っている事があります。
自身の作り出したキャラを大きく変える事無く、コレクションの作品を作り続けていくという事です。
ただのお絵描きであれば、タッチからキャラ、コンセプトをガラッと変えて新作を出し、私自身も、見てくださる人へも、驚きと楽しみを共有して貰える自信みたいなものがあります。
私の創作の根底にあるのは、見てくださる方に「そうきたか」と思って貰えるプラスの裏切り。なのです。
それがなかなか表現しにくいのがNFTのコレクション、つまり、水曜日のりこジェネなのです。
もちろん毎回、「そうきたか」を狙い私自身がまず満足する作品になるまで絵と向き合い制作しています。
ですが販売日が近づくにつれ、一見すると同じような絵を見て飽きられないか?がっかりされないか?もしかしたらもう要らないなんて思われないか?
そんなことばかりが私の頭を支配してくるのです。
私にはライバルはいません。
ですが憧れる作品は沢山あります、近づきたい。
そう思いながら絵を描いている事も多いのです。
なので私は蛇やカニのように気づかれないかもしれないくらいではあっても変化をし続けて行く必要があるのです。ニョロリ。
神様の暇つぶし
私が目指す先はとても見晴らしがよく、目を凝らせばゴールが見えるほど空気も澄んでいます。
なのに不思議。
所々に付けておいた中間地点のマークまで来ると、来た道は変わらないのに、行く先はスタート地点から見た時と全く違っていたりします。
さてどうしましょう。
元々決めていた方へ進むのか、何故か位置がズレてしまっている次の中間地点を目指すのか、です。
こんな時いつも思うのは、運命や神様って意地悪で暇人なんだなと。
「神様どうかお願いします」と願っている時は1度も現れないくせに、るんるんで歩いていると「試練だよ」と難しい選択を迫って来るなんて。酷い人です。神様。
私からすれば常に人を不幸にしようと考えている悪魔の方がよっぽど純粋で可愛い。
そして私は試練にとても弱い。
泣いてうずくまって動けなくなるのが私です。
けれど今の私はと言うと、なんの迷いもなくフォロワーさんがいる方へと歩き出しているのです。
ぼっちだった頃には考えられなかった事です。
迷った時、落ち込んだ時でも仲間がいれば大丈夫なんてアニメの中の世界だけだと思っていたのに、今の私にはアニメを超える仲間がズラリといるんです。
きっと試練を与えたつもりの神様も与えた試練を3度見はしたでしょう。
神様諦めてくださいね、私にとっての試練は私の仲間には通用しないのですから。
神様の暇つぶしに付き合っている時間など私にはないのです。
熱帯魚
温度管理が上手くいかないとすぐ死んでしまうらしいのです。
なので適正な地域の適正な環境でないと見る事が出来ないのが熱帯魚だそうです。
きっと人の心も熱帯魚なんだと思うんです。
訳あっていつでも観れるように閉じ込めた世界は水槽なんだと思います。
私は学校ママは会社
本当は適正な環境ではない場所にいるのかも知れません。
皆さんはどうですか?
水槽の中でしょうか?大自然の中でしょうか?
私にとっての大自然はお家でお絵描きをしてTwitter、NFTに触れている時です。
学校はギリギリ対応可能な水槽なのです。
それが来年には社会と言う新たな水槽へのお引越しが決まっているのです。
正直とても怖い。
今は暖かな水槽にいる私が急に冷たい水に対応出来るのか…。
きっと死んじゃう程じゃない、環境に応じて強くなるもんだ。ほとんどの方がそう言うんだろうな。そしてそれが現実なんだろうなとも。
慎重に次の水槽を選んでできる限り、自分に合った環境を選ぶとよいとも。
私には無限の可能性がある。
とても素敵なはずの言葉なのに私には、余りにも多すぎる自動販売機のボタンのように感じるのです。
限られたボタンだからこそ選んで納得し押す事が出来るのに無限の可能性なんて。
まるで家から学校迄の道のりを自販機で埋めつくし、学校が始まる時間までに選んでボタンを押しなさいと言われているようなものなのです。
1度通り過ぎてしまったら、それがどの辺にあったのか何段目だったのかさえ見つけられない。
戻って探そうにもそんな時間は残されていない。
そう思えてしまうのです。
なので今の私は、先生が持って来てくれるオススメの中から選ぶだけで精一杯なのです。
コーラにミルクティー、コーンポタージュなら飛びつけるのに先生のオススメはイチゴジャムチーズ、バターコーラなど知ってるようでよく分からない味ばかり。
今の私が使えるたった1枚のコインで「それにします!それください」と言うにはチャレンジが過ぎるものばかりなのに選ばなくてはいけないのです。
皆さんはどうだったのでしょうか、今の私にはそれを聞ける相手がいないのです。
ママ曰く、あかんかったら辞めて次みつけたらええやん。です。
ママなりに気遣ってくれているのはよく分かるのだけど、あかんかった🟰ダメな私。な思考回路の私にはあかんかった、じゃ次!なんて到底出来そうもありません。
そしてこんな事で頭をいっぱいにしている私がいると言うことは、もうすぐ春が来るんです。
春休み
毎年不安定になるのは恒例行事なのです。
進化論なんて書きながら現実の私はなかなか成長出来ず、イソギンチャクの影に隠れたままのシマシマの熱帯魚なのです。助けてドリー。
あとがき
ここまで読んでくれたあなたは優しい。
ありがとうございます。
思わずメンヘラ発動するところでした。笑
不思議と書き出す事で少し不安が和らぐのです。
現実は何も変わらないんですけどね。
お付き合い頂いた方に心からの感謝を!
そして私にとっての命綱NFTの電源を切らずにいてくれてありがとうございます。
ニモより。