見出し画像

脱会のステップ【第3章⑥感情を取り戻す】

こんにちは。
宗教を辞めたいけれど、辞められない人に向けたシリーズ記事を書いています。
私自身、エホバの証人という宗教団体を辞めたいのに、辞められないという経験をしてきました。

もし、どこかに似たような境遇で悩んでいらっしゃる方がいれば、この記事がお役に立てれば嬉しく思います。

さて、
今日のテーマは「感情を取りもどす」という点です。

本日も、脱会のステップとしてとても重要なので、ぜひ続きを読んでみてください。

自分の考えをエホバに合わせる


エホバの証人の理想系としてよく目指されるのは、
「エホバやイエスのように感じ、行動する」ことです。


教団の出版物でも度々その重要性が指摘されていますし、
集会での一般信者のコメント*でもよくそのように言う方がいらっしゃいます。

※コメント…エホバの証人の集会では、教団が発行している出版物の文章の読み合わせが行われます。信者たちは各自、その日に読むことになっている文章を読んでおき(これを予習と言います)、集会では自分が文章を読んで学んだことなどを手を挙げて発表します。1回の集会で最低1回はコメントをすることが、模範的な信者とされる暗黙のルールのようなものが存在しており、そのため信者たちは自発的に手を挙げ、コメントを行います。


これはエホバの証人だけではなく、キリスト教全般に当てはまる教えかもしれませんが、「人間は罪深い存在である」という前提があります。


そこから、エホバの証人では次の教えがやたらと強調されています。

・人間は放っておくとよくない傾向に走っていくので、自分の考えに頼ってはならない
・組織にいつも忠実に従う→なぜなら、この組織は神が導いているから、組織の方針=神の方針であるから

なので、
しばしば「自分の考え方を正す」ようにと教えられます。

これまでこのシリーズ記事を読んでくださっている方であれば、これがどのように危険なことであるかわかっていただけると思います。

これは自分の考えを持つことを否定され、代わりに教団が推奨する考えを持つことを善とする教育であるからです。

もちろん、自分の考えが「凶悪犯罪を起こしてやりたい」といった残忍なものであるならば、それを否定し、別の考えに変化させる必要はあるかもしれませんが、人間であれば感じるであろう「普通の」考えすらも、「間違ったもの」と否定されてしまうのです。


特に日本のエホバの証人では、この傾向が強いと言われています。

何かのプロジェクトを進めていく際に、たとえ「もっとこうやった方が効率よくできる」と思いついたとしても、組織や長老の指示通りに進めなければならない、というパターンは頻繁にあります。


こうした過程で、どんどんと自分の感じ方や価値基準が失われ、やがてエホバの望む通りに行動する人物ができあがっていくわけですが、エホバの望むというのは=組織の望むということですから、
組織の命令を忠実に遂行するエージェントが完成することになります。

まるで、管理社会を描いたSF映画の世界観のようですが、エホバの証人が言っていることはまさにこのSF映画の世界観ではないかと私には思えるのです。

それを如実に表す表現が、「エホバの感じ方に自分を合わせていく」というものです。


感じ方の否定


どのような考え方をするのかに加えて、どのように感じるべきかといった「感情」までも管理されていくというのが私には奇妙に感じます。
まさにSF映画の世界です。

信者たちは毎週の「ものみの塔」の研究記事を読み合わせて、コメントし合うことにより、この記事に書かれた望ましい価値観とそうでない価値観を学んでいきます。

記事を読んで、教団の望む方向性とは違った感情が湧いてきたとしても、「自分が間違っているのだろう」とそれを抑圧し、望ましい感じ方ができるように努力します。

この「感じ方を合わせる」というのを、教団はどこまで本気でいっているのか分かりませんが、実際にそうしようと努力している末端の信者がいることは事実です。

本当に奇妙なことが起きます。

感情というのはいわば湧き出てくるものであり、それ自体はどうしようもないものです。
しかし、何かできごとが起きた時に、どのように感じるのがよいかを「教団の出版物から思い出して」その感情にスイッチを入れるようにして、それを発動させる。
というような反応をするようになります。

言葉足らずで分かりにくいかもしれませんが、要はすごく不自然だということです。

こうした教えの刷り込みが、結果として、前回紹介したアダルトチルドレンの傾向などと重なって、「自分は何がしたいのかわからない」「本当は何に喜びを感じ、何に対して怒りを感じるのかすらも分からない」という状態にまで発展してしまうことがあります。

ゆえに、教団の言っていることがおかしいと感じ、組織を脱退したいと思っても、
そこを出て、では自分はどう生きていきたいのか、何をしたいのかと考えた時に何も出てこない。
だから、組織を抜ける勇気が出ないで、そのまま止まり続けることになってしまうというパターンに陥るのだと思います。


もっと喜怒哀楽を出していい


さて、解決策ですが、
やはり「自分の感じ方を取り戻していく」ということしかないでしょう。

そして、そのためには自分に湧いてきたあらゆる感情を否定せずに、ありのまま受け止めることが大切だと思います。

エホバの証人として生活が長い方にとっては、怒りや嫉妬といったマイナスの感情はすぐに捨て去るべきだと教わっているせいか、それを感じること自体が悪であると思っている方も多い気がします。

しかし、それも自然な反応です。
そうした感情を押し込めたまま親切を施そうとするから、行動と動機の噛み合わない違和感を覚える振る舞いになってしまいます。

別にブチぎれろと言っているわけではなく、
イラっとしたら、素直に「あ〜、今イラッとした」と認めれば良いということです。

人前でそうすることのはためらわれるということもあると思うので、自分一人の時にボソッとつぶやくのでも構いません。

あと、映画などを見て号泣するというのはかなりおすすめです。(できれば、教団が出しているやつではなく、一般のやつを見てください。)


私は「自分にもこんなに感じる力が残されていたんだ」とうれしくなりました。

またどこかで感動した映画のリストなども紹介してみたいと思います。(このnoteの趣旨から少し外れますが、けっこうこういうのが脱会の起爆剤になったりするので、、)


それではまた次回お会いしましょう。
本日もお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?