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【MBTI】Fi(内向感情)+Ne(外向直観)について考察② -Ne編-

Ni(内向直観)の記事を執筆している中で、Fi(内向感情)+Ne(外向直観)による行動との差別化が自分の中で曖昧であると感じました

そこでFi・Neとは何か、またFi+Neが働くとどういった行動が現れるのかを考察してみたいと思います
今回はNeについて考えていきます

直観とは

Neについて考える前に直観について振り返りたいと思います

例えば、学校で「このクラスがもっと良くなるにはどうすれば良いか」を考える課題があったとします

感覚を指向する生徒であれば、以下のような心理が働くと考えられます
・教師ないし生徒間で好評なクラスを参考にすることで、自ずと答えが見えてくるのではないだろうか
・直接クラスメイトに困っていること等を聞いて、それを解決できる策を考えれば良いのではないだろうか
・小説、ドラマなどで良いなと思ったクラスが行っていたことを参考に出来るのではないか

一方、直観を指向する生徒であれば、以下のような心理が働くと考えられます
・”良いクラス” とはどういったクラスなのだろうか
勉強が出来る、運動が出来る、思いやりのあるクラス等いろいろと考えられるな
”思いやりのあるクラス” いわゆる能力面ではなく、クラスメイト一人一人の心の持ちように依存するこの項目ならば達成できる可能性があるな
待てよ、心の持ちように依存するならば、精神が安定していないと成り立たなくなってしまうのか?
精神安定といえば瞑想などが思い浮かぶな
ところで瞑想の由来は何なのだろうか?
・・・

・例えば「学校帰りに横断歩道に差し掛かる → 荷物を抱えた老人が横断歩道を渡っているものの、赤信号へ変わるまでに渡り切れそうにない → 老人の荷物を持ち、横断歩道を渡る手助けをする」という出来事に遭遇するとします
この時、生徒は一連の流れから「困っている人がいたら手を差し出し、そして周囲の人は手を差し出した人・手を差し出された人の両者をじっと見守ることが大事なのだ」と認識しました

そして、クラスが良くなるために必要なことを改めて考えるとき、上述の内容を思い返し、これこそが答えなのではないかと結論に至る


これらは例であり一部分を切り出したに過ぎません
実際はこんな短文では表すことが出来ない程の心理が働いているはずです
もっと言うと感覚と直観を交互に使っているケースすらあると思います

とはいえ、感覚と直観の違いは何となく表現できたのではないでしょうか

これらの例を踏まえ、感覚指向者は答えに直結した情報を求め、直観指向者は咀嚼して新たな情報を生み出すために情報を求めるのではないかと私は考えます

故にここでは「直観とは情報を取得し咀嚼することで生まれる新たな情報である」と定義します

Ne(外向直観)とは

Neは読んで字のごとく、直観が外側を向いている心理機能です
つまり、意識は常に客体に向いており、客体が発する情報を絶えず捉え咀嚼し、新たな情報を生み出すことで知覚する機能になります

私が生活している中で、Neが垣間見えた事例がありますので記載します

事例:推定Ne主機能上司とのMTG
それなりにボリュームがあり、且つ複雑な案件を進めていくにあたり
標題の上司と進捗報告を兼ねたMTGを週1回行っておりました

毎週、1週間の進捗を報告していたのですが、取りまとめたデータを提示すると「これは○○が■■だからこういう結果になっているんだろうか。ちなみに△△はどういうデータになっている?」といったような会話をほぼ毎回行っておりました

こうした流れを経て、導入はAという項目について考えていたものの、いつの間にかBという項目にフォーカスし、最終的にBにまつわるCのデータを来週までに取りまとめて欲しいといった着地でMTGが終了するケースが多々ありました

このように、「ある情報を得て咀嚼している中で別の情報に意識が向き、さらにその情報を咀嚼しようとする」といった心の働きはNeの特徴であると考えます

また、Aについて考えていたことがCについて考えるようになり、Aについては触れなくなってしまう事もNeユーザーによく観られるケースではないでしょうか

ちなみに一連の流れを踏まえ私は「気持ちは分からなくもないが、何故こんな遠回りをするのか。事前にある程度の仮説を立てその立証にフォーカスすれば、もっと端的に話がまとまるのではないか。」と常々思っておりました

幸い当時からMBTIについて知見を深めており、これが俗に言う知覚的態度であるということを認識していたので心を病むこともなく過ごせました

以上のことから私はNeを以下のように解釈しております
ある一点を起点に発散しながら情報を生み出す知覚機能

Ni(内向直観)との比較

NeとNiの違いを一言で言い表すとNeは発散する知覚・Niは収束する知覚であると考えます
NeとNiの関係性を上述のように表現されている記事等を見かけますが、正にこれに尽きると思います

いずれも直観なので、受け取る情報から新たな情報を生み出そうとします
Neは意識が客体に向いており、瞬間瞬間で発散させることで情報を生み出します
一方、Niは意識が自身(タイプ論的には内的客体)に向いており、意図していない時に情報が収束され新たな情報を生み出します

先程「このクラスがもっと良くなるにはどうすれば良いか」を考える課題があった時のことを例に挙げましたが、直観の1つ目の例はNe・2つ目の例はNiであればどういった知覚をするかイメージしながら記載しました

最後に

直観について調べると、「可能性・革新的・理想主義」などのワードがヒットします
そのいずれも誤りではないと思うのですが、そこで情報が止まっていたり、抽象的な表現なので事例と照らし合わせるとイメージが難しいケースが多いように感じました

某奇妙な冒険に登場する某漫画家も「『リアリティ』こそが作品に生命を吹き込むエネルギーであり、『リアリティ』こそがエンターテイメントなのさ」と言っておりました

私の意見・考えに基づく内容で恐縮ですが、本記事が直観に対する理解の一助になってくれたら嬉しいです

ちなみに私がこの記事で伝えたかったNeの説明は、記事に設定している画像がすべて説明してくれていると感じております

ここまでご覧いただきありがとうございました

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