人と人の間に立つ葛藤と奥深さについて
仕事柄、人と人との間に入ることが多い。
だいたいの時はそれぞれに想いがあって、どれも理解できるし間違ってない。それでもいろんな立場で物事を考えてみると、今回のパターンにおける正論が見えてくる。『今回の目的は〇〇だから、そのためにできることは〇〇だから、それ以外は重要じゃない。目的に照準を合わせよう』となってくる。
言いつつも正論は暴力的なまでに正論なので、みんなが『いいじゃん!一緒にがんばろう!』という気持ちではなく『ぐぬぬ・・確かにそれは正しいから異論が許されない・・・』という性質の納得になる。
これだとモチベーションも上がらないし、仕方なくやるしかなくなる。こういう消極的な許容は後々いろんなところで炎症となって出てくると思うので、一番の理想は『目的を共有しつつも各々が個性を発揮できる余白があること』なのではないかと思う。ただ、これはこれで采配するのが難しい。
小娘にはできないこともあればできることもあるし、貫禄のある人にしかできないこともある。立場によってできることとできないことがあるのだ。
そのために必要なのはどんな要素かというと、やはりいろんな立場に立って誠意をもって考えること、寄り添えることなのではないか。また、そのために勉強を続けていくこと。間に入るのは難しい。でも誰かがクッションの役割を果たすことが出来れば大きく流れが変わると思うのだ。
一番避けたいのは正義を振りかざして暴力になってしまうこと。正義はよくよく考えなければいけないと思う。ガンダムを見ていると正義を作り上げて大義名分を作って戦いが始まるのだから、正義とは難しい。その分奥深い。
いつか大好きなアプリのスタンドマイヒーローズ本編で主人公が捜査一課長に「キミにとって正義は?」と言われて返した言葉が「正義を武器にしないこと」と言っていたのが印象深い。しかも結構序盤だった気がする。そこから展開される正義についての問いがそれぞれの生きざまにあってたまらなくなった。正義についてはよくよく考えさせられたなあ、でもまだまだ浅いなあ、という具合に悩ましいところではありますが、またタイミングを見て自分の正義についての考え方を残しておきたいなと感じた。
ちなみに現時点での自分の正義が何かと言われたら、むずかしいけど「正義を否定しないこと」なのかもしれない。自分以外の正義はバラバラだけど、その人が作り上げた正義なので否定はしない。賛同するかは別の話だけど、そういう大人でありたいと思っている。なう。
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