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ヱビスビール史

1889年
目黒村三田(現在の東京都目黒区三田)に、最初のビール醸造場が完成した。当時のビールの値段は一本で20銭。かけそばが2銭なので10杯分のお値段。今でいうと3800円ぐらいか。

1890年
第3回内国勧業博覧会で「恵比寿ビール」は最良好の評価を受けビールの代名詞となる。依然として高級品であることには変わりなかった。

1894年
日清戦争が始まった。 

1895年
日清戦争の好景気で「恵比寿ビール」の売れ行きが増加。戦争特需で資本金を増やし、工場拡大のため用地買収に乗り出す。目黒村と渋谷村(現在の東京都渋谷区恵比寿)に合計3万坪強の土地を所有した。

1899年
ビールをより庶民的な飲み物とするために新橋際(現在の銀座8丁目)に「恵比寿ビヤホール」を開設した。
生ビール一杯(500ml)10銭で提供。ビールが手頃な価格となり庶民のものになっていった。

1900年
「恵比寿ビール」は海を超え、フランスのパリ万博にて金賞を受賞する。

ラベルの上に「EXPORT」の文字がある。

1901年
「恵比寿停車場」という恵比寿の名が付いた貨物専用駅ができた。物流網として「恵比寿ビール」はここから各地へと出荷されていった。

1906年
「恵比寿停車場」にて旅客の取り扱いを開始し一般の人が「恵比寿駅」を利用するようになった。この年、日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒3社が合併し「大日本麦酒株式会社」を創立した。

1914年
第一次世界大戦勃発。

1918年
第一次世界大戦終戦。
第一次世界大戦による好景気は、ビール業界にも大きな影響を与えた。都市サラリーマン層を中心に衣食住の西洋化が進みビール需要も拡大していく。日本酒よりもビールを好む層を「ビール党」などと呼ぶようになり、物珍しさからではなく習慣としてビールを楽しむ人が増えていった。

1923年
関東大震災。

1937年
政治経済は戦時色を増していった。日本の物資不足は深刻化しビールも公定価格が定められた。この頃から工場周辺の土地の名前が「恵比寿」になっていった。

1939年
第二次世界大戦勃発

1943年
ビールは配給制になる。全ビール会社のブランドラベルが物資の軍需優先などにより廃止された。歴史からエビスビールは消えた。流通網の鉄道も軍部に抑えられた。

配給制ビール

1945年
第二次世界大戦終戦

1949年
「大日本麦酒株式会社」が分割され、「日本麦酒株式会社」設立。

1964年
社名を「日本麦酒株式会社」から「サッポロビール株式会社」に変更。

1971年
「ヱビスビール」のラべル復活。ドイツのビール純粋令に基づいた製法により現在も庶民の支持を得ている。

興味のある方はこちら
ヱビスビール記念館

まとめ

ビールは美味い

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