なぜドラッグは「ダメ。ゼッタイ。」なのか考えてみた
薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」
こうした標語やポスター、あるいは啓発の課外授業などを受けた経験がある人は多いだろう。1998年に国際連盟により採択された「薬物乱用防止のための指導指針に関する宣言」を契機に、日本においても元厚生労働省及び警察庁所管の公益財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センターが中心となり、薬物未経験者への啓蒙活動を積極的に行っている。
近年、大麻関連製品(CBD製品等)などの市場拡大や、それに伴う未規制物質の流行、トー横などでも散見される市販薬のオーバードーズなど、当初2019年に薬物乱用を根絶することを目指していた状況とは異なり、むしろ若者にとってドラッグがより身近な存在になっているように思う。
この印象的な「ダメ。ゼッタイ。」という標語は、むしろ反抗心や好奇心を煽ってしまい、正しい知識がないままドラッグを単に「反抗的だから」という理由で初めてしまう人を生んでいる、そんな気もする。
また、個人的にヒッピーカルチャーの探求を深めていく中で、60年代のカウンターカルチャーにはどうしてもドラッグが切っても切り離せないということも知った。さらに、私の好きな音楽ジャンルである「レゲエ」や「HIPHOP」も、その根本的精神としてドラッグとの付き合い方を見直すべきだというメッセージを含んでいるように感じる。
そこで、今回はドラッグについて、各論としてではなく総論として、そもそも「なぜ『ダメ。ゼッタイ。』なのか」そして「ほんとうに、『ダメ、ゼッタイ。』なのか」という問題について、簡単に考察してみたいと思う。
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