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【シリーズ・復活祭】アニメキャラが解説する「四旬節」~「受難の主日」編~

■はじめに

みんな、四旬節も後半戦、早いもので来週は「聖週間」だな!

元気に過ごしているか?

俺は、アニメ「鬼滅の刃」鬼殺隊の「炎柱」、煉獄杏寿郎だ!

巷では俺のことを「300億円の男」と呼ぶ者もいるようだが・・・なぜそう呼ばれるのかはよくわからない!

ところで俺の姓、「煉獄」はカトリック用語なのは、みんな知っているな?今日は時間の関係もあるから意味は説明しないぞ!

さて今日は、今度の日曜日に迫った、「受難の主日」について、俺が解説するぞ!

いつもとは違うこの日曜日について、気合を入れて解説する!みんなもついてきてくれ!心を燃やせ!

■「受難の主日」とは

このシリーズでも解説がされている通り、復活祭は毎年「春分の日の次の最初の満月の次の日曜日」だ!

今年、2021年の春分の日は3月20日、その後の最初の満月の日は3月29日だ。つまり、その次の日曜日である4月4日が復活の主日、イースターになるわけだ!

最近ではイースターも春のイベントとして売り出されているようだが、クリスマスやバレンタインデーなどと違い、日付が固定されていないから定着しにくいのではないかという意見もあるな!

さて、そのイースターの一週間前、つまり四旬節最後の日曜日(今年で言えば3月28日)のことを「受難の主日」という!カトリックでは別名「枝の主日」、プロテスタントでは「棕櫚の主日」、正教会では「聖枝祭」と呼ばれる!

これは、イエス・キリストが、十字架にかかる前、エルサレムに入城し、自ら受難の道を進んでいったことを記念する日だ

そして、この受難の主日を皮切りに、復活祭までの特別な一週間が始まる。これを「聖週間」と呼ぶ!

プロテスタントでは「受難週」、聖公会では「聖週」、正教会では「受難週間」と呼ぶ!微妙に違うな!それくらい統一してもよいのではないかと思うのは俺だけだろうか?

受難の主日には、普段のミサとは違う、特別な典礼があるぞ!続いてはそれについて解説していく!

■受難の主日の特別な典礼①ミサ冒頭

イエスが入城したとき、大勢の群衆は、棕櫚(ナツメヤシ)の枝を持ってイエスを大歓迎したんだ!聖書でも有名な箇所だな!ちなみにこの時、イエスは子ロバに乗っていたんだ!あの小さな体でよく成人男性を乗せて歩けたものだ!うむ、すごいぞロバ少年!

カトリックの受難の主日のミサでは、この場面を再現するため、ミサの参列者は枝を持ってミサに参加するんだ!本来はナツメヤシなのだが、日本では見られない植物故、似た形状のソテツなどを用いることが多い!

枝は教会で用意したものをもらってやる場合もあれば、各々が持ち寄る場合もある!その場合は植物の葉っぱならなんでもOK、ということが多い!うむ、寛容だな!

ちなみに「灰の水曜日」の解説でも触れられていると思うが、この枝は翌年に回収して燃やし、灰にする!それを灰の水曜日ミサで用いる、というわけだ!

そしてミサは外に出た状態で始まるというのも大きな特徴だな!神父様が式文を読み、枝を持った会衆に聖水を振りかけて祝福する!そして歌いながら列を作って聖堂に入っていくんだ!まさに聖書の場面の再現だな!

動画も貼っておくから、ぜひ参照してほしい!

■受難の主日の特別な典礼②受難朗読

もう一つ、受難の主日には特別な典礼がある!それは「受難朗読」というものだ!

聖書朗読はミサでは毎回必ずやっているものだが、この日に限ってはいつもと違う!それは、聖書のイエスの受難の場面を、神父様、朗読者、会衆が朗読劇のように役割分担をして朗読するというものだ!

ちなみに役割は、神父様→イエス、朗読者→イエス以外の登場人物や地の文(セリフ以外)、会衆→群衆、だ!

読まれる箇所は年によって違うのだが、今年は「B年」にあたる(詳しい説明はここを見てくれ!)ので、マルコ福音書が読まれる!

受難の朗読 マルコ15・1-39
マルコによる主イエス・キリストの受難

A→朗読者1、C→朗読者2、十→司祭、S→会衆

C 夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。ピラトはイエスに尋問した。
A 「お前がユダヤ人の王なのか。」
C イエスは答えられた。
十 「それは、あなたが言っていることです。」
C そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。ピラトが再び尋問した。
A 「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」
C しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。そこで、ピラトは言った。
A 「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか。」
C 祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。そこで、ピラトは改めて言った。
A 「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか。」
C 群衆はまた叫んだ。
S 「十字架につけろ。」
C ピラトは言った。
A 「いったいどんな悪事を働いたというのか。」
C 群衆はますます激しく叫び立てた。
S 「十字架につけろ。」
C ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、
A 「ユダヤ人の王、万歳」
C と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。そして、イエスをゴルゴタという所その意味は「されこうべの場所」に連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
A 「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」
C 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。
A 「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」
C 一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。
十 「エロイ、工ロイ、レマ、サバクタニ。」
C これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、
A 「そら、エリヤを呼んでいる」
C と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、
A 「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」
C と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。(一同頭を垂れて沈黙する)
すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。
A 「本当に、この人は神の子だった。」

うむ、長い!とにかく長い!しかしイエスの受難の場面を黙想する素晴らしい朗読ではないか!

リベラ少年は枝の主日の朗読者をやったことがないそうなのでいつも会衆のセリフを読んでいるが、自分の口で「殺せ!十字架につけろ!」と言うのはなかなかグッとくるものがある!「ああ、イエス様を十字架につけたのは自分の罪の故なのだな」ということを激しく自覚するんだ!

というわけで、ミサの始まり、そして受難朗読。受難の主日はこの二つが特徴だ!ぜひ押さえておいてほしい!ちなみにこの日の典礼色は、年に数回しか見られない「赤」だ!燃える炎の色、そして受難を意味する血の色でもあるな!

■おわりに

うむ、我ながら良い解説ができた!受難の主日、ミサとしても美しく、視覚、そして聴覚にも訴えてくるな!カトリックのミサや典礼は、「五感で感じる」ことを重視しているんだ!聖体拝領で味覚を、焚いたお香で嗅覚を、所作で触覚を、といった具合にだ!

竈門少年をはじめ、五感に優れた鬼殺隊の新鋭達にはぜひ、カトリックのミサに行ってみてもらいたいものだな!いつでも大歓迎だ!待っているぞ!

さて、いよいよ来週は聖週間だ!怒涛の連日投稿、解説ラッシュになると思う!みんな、楽しみにしていてくれ!しかし俺は何より、筆者リベラ少年の体力が心配でならない!

リベラよ!心を燃やせ!

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